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音楽

2009年8月 4日 (火)

ザ・ホワイト・ストライプス

ザ・ホワイト・ストライプス (The White Stripes) は、アメリカのロック/ブルーズ・デュオ/バンド。アメリカ合衆国デトロイト出身。1997年にデビュー。ストロークスとともに、ガレージロック・リバイバルのバンドとして有名である。バンド名の由来は赤に白い縞の入ったペパーミント・キャンディから。 1997年、デトロイトにて姉弟デュオとしてデビュー。インディー・ロックシーンにてスリーター・キニーなどと行動を共にする。 1999年、インディースで1stアルバム『ザ・ホワイト・ストライプス』をリリース。2000年には2ndアルバム『デ・ステイル』をリリース。 2001年、メジャーに移籍し3rdアルバム『ホワイト・ブラッド・セルズ』をリリース。まずイギリスで人気が広がり、やがてアメリカでもガレージロック・リバイバルの旗手として名を馳せる。レゴブロックを用いた「フェル・イン・ラブ・ウィズ・ア・ガール」 (Fell in Love with a Girl)のプロモーションビデオも話題となった。2002年にフジ・ロック・フェスティバル出演のため来日。 2003年、4thアルバム『エレファント』をリリース。初の単独来日公演を行う。ジャック・ホワイトは同年のRolling Stone誌で"The 100 Greatest Guitarists of All Time"の17位に選出される。2004年には「セブン・ネイション・アーミー」 (Seven Nation Army)でグラミー賞ベスト・ロック・ソング賞(この曲は、サッカーW杯2006年ドイツ大会にて、優勝したイタリアチームが決勝戦終了後に合唱したことでも有名)、『エレファント』でベスト・オルタナティブ・ロック・アルバム賞を受賞するなど、21世紀の初頭における最重要バンドの一つとしての地位を確固たるものとした。同年には再びフジ・ロック・フェスティバル出演のため来日している。 2005年6月、イギリスのグラストンベリー・フェスティバル(Glastonbury Festival) にヘッドライナーとして出演する。7月、5thアルバム『ゲット・ビハインド・ミー・サタン』をリリース。 2006年に『ゲット・ビハインド・ミー・サタン』で再びグラミー賞ベスト・オルタナティブ・ロック・アルバム賞受賞。同年1月に2度目の単独来日公演を行った。 2007年3月、ホームページにて6thアルバム「Icky Thump」を発表。

2009年7月14日 (火)

Muse

ミューズ(Muse)は、イギリスのデヴォン州ティンマスで結成されたロックバンドである。1993年結成。

デビュー当初はレディオヘッドのフォロワーと捕らえられがちだったが、次第に独自の音楽性を発揮。クイーン的とも評されるその過剰なまでに派手なアレンジと、3ピース・バンドとは思えないほどの壮大で美しく激しいサウンドから、日本版セカンドアルバムの帯に『過剰の美学』なるコピーがつけられていた。

プロモーションビデオも評価が高く、ライブ映像をCG加工したものから、80年代のSF映画風の作品までどれも個性的な内容になっており、一部はDVDやYouTubeの公式チャンネルで視聴できる。

身地 イングランドデボン州
ジャンル オルタナティブ
エレクトロニカ
プログレッシヴ・ロック

活動期間 1994年 – 現在
公式サイト Muse.mu
メンバー
マシュー・ベラミー
クリス・ウォルステンホルム
ドミニク・ハワード

アルバム [編集]
ショウビズ Showbiz (1999)
オリジン・オブ・シンメトリー Origin of Symmetry (2001)
ハルバルー・サウンドトラック Hullabaloo Soundtrack (2002)
アブソルーション Absolution (2003)
ブラック・ホールズ・アンド・レヴァレイションズ Black Holes and Revelations (2006)
ハープ HAARP (2008)
ザ・レジスタンス The Resistance (2009) *09年9月14日発売予定

EP [編集]
ミューズEP Muse EP (1998)
マッスル・ミュージアムEP Muscle Museum EP (1999)
ランダム 1-8 Random 1-8 (2000) 【日本限定】

シングル [編集]
ウノ Uno (1999)
ケイヴ Cave (1999)
マッスル・ミュージアム Muscle Museum (1999)
サンバーン Sunburn (2000)
アンインテンディッド Unintended (2000)
マッスル・ミュージアム(US) Muscle Museum(US) (2000)
プラグ・イン・ベイビー Plug In Baby (2001)
ニュー・ボーン New Born (2001)
ブリス Bliss (2001)
ハイパーミュージック/フィーリング・グッド Hypermusic/Feeling Good (2001)
デッド・スター/イン・ユア・ワールド Dead Star/In Your World (2002)
ストックホルム・シンドローム Stockholm Syndrome (2003)
タイム・イズ・ランニング・アウト Time Is Running Out (2003)
ヒステリア Hysteria (2003)
シング・フォー・アブソルーション Sing For Absolution (2004)
バタフライ・アンド・ハリケーン Butterflies & Hurricanes (2004)
スーパーマッシヴ・ブラック・ホール Supermassive Black Hole (2006)
スターライト Starlight (2006)
ナイツ・オブ・サイドニア Knights Of Cydonia (2006)
インヴィンシブル Invincible (2007)
マップ・オブ・ザ・プロブレマティック Map Of The Problematique (2008)

DVD [編集]
ハラバルー・サウンドトラック Hullabaloo Soundtrack (2002)
ライヴ・フロム・アブソルーション・ツアー Absolution Tour (2005)
ハープ HAARP (2008)

2009年6月 5日 (金)

巨乳まんだら王国

巨乳まんだら王国(きょにゅうまんだらおうこく)は大阪府出身のバンドである。1999年結成。R and C所属。変態系ロックバンドを自称しているだけあって彼らの歌はお下品な下ネタのオンパレードである。

教祖イコマノリユキ(9月18日 - )ボーカル
リュウタロ殿下(3月26日 - )ギター
スナイパー勃起 (たつ)(2月4日 - )ギター
怪盗マッシュ(11月7日 - )ドラム
カズネリアス伯爵(3月26日 - )ダンサー&コーラス
マーニ長官(1月14日 - )ダンサー&コーラス
さわ世界紀行(7月25日 - )ダンサー&コーラス
マサオ(8代目)(10月10日 - )ベース&ダンサー&コーラス

シングル [編集]
ホルスタイン(2003.5.24)
ちん毛(2004.5.22)

アルバム [編集]
王国民洗脳教育セット(2004.07.21)

参加オムニバス [編集]
ATTACK(2002.10.16)
17. 肛門
聴視激エンターテイメント!!2(2004.8.25)
10. 大きなクリの木下さん
11. 地球防衛戦隊キョマン

2009年5月 2日 (土)

KASABIAN

カサビアン(KASABIAN)はイギリスのレスター出身のロックバンド、2004年に結成された。エレクトロニカを融合させたロックサウンドが特徴。

オアシスのギャラガー兄弟を非常に尊敬しており、その言動は崇拝に近い。オアシスの方も彼らを可愛がっており、ライヴで共演したり、インタビュー等でカサビアンを絶賛するなど蜜月状態が続いている。

デビュー当時はレスター郊外の小屋で4人で自給自足に近い共同生活を送っていた。代表曲は、『L.S.F(Lost Souls Foever)』、『Club Foot』、『Me Plus One』、『Processed Beats』、『Reason Is Treason』、『Empire』、『Shoot The Runner』。

2004年のサマーソニックで初来日を果たし、新人バンドとしては異例の入場規制が敷かれた。その人気を受けて翌年はメインステージに出演している。 2007年のサマーソニックに3度目の出演を果たし、翌年2008年に初めてフジ・ロック・フェスティバルに出演。そして2009年、4度目のサマーソニックに出演が決まった。

トム・ミーガン(Tom Meighan) - メインボーカル
セルジオ・ピッツォーノ(Sergio Pizzorno) - ギター、キーボード、ボーカル
クリス・エドワーズ(Chris Edwards)- ベース
イアン・マシューズ(Ian Matthews) - ドラム、パーカッション
ジェイ・メーラー(Jay Mehler) - ギター

アルバム [編集]
Kasabian(カサビアン)(2004年)メジャーデビューアルバム
「Club Foot」 「L.S.F. (Lost Souls Forever)」他収録
Empire(エンパイア)(2006年)全英アルバムチャート初登場1位
「Empire」 「Shoot The Runner」他収録
West Ryder Pauper Lunatic Asylum(ルナティック・アサイラム)(2009年)
「Vlad The Impaler」「Fast Fuse」「Fire」他収録

マキシシングル [編集]
Club Foot(クラブフット)(2004年)
L.S.F.EP(エルエスエフ イーピー)(2004年)
Processed Beats(プロセスドビーツ)(2004年)
Empire(エンパイア)(2006年)
Shoot the runner(シュート ザ ランナー)(2006年)

2009年4月18日 (土)

The Strokes

クス (The Strokes) は、1999年にアメリカ合衆国はニューヨークで結成されたロックバンド。00年代におけるガレージロック・リバイバル(ロックンロール・リバイバル、ポストパンク・リバイバル)ムーブメントの旗手として、後進に大きな影響力を持っている。

ジュリアン・カサブランカス (ボーカル)
ニック・ヴァレンシ (ギター)
アルバート・ハモンドJr. (ギター)
ニコライ・フレイチュア (ベース)
ファブ・モレッティ (ドラムス)

1999年、NYのアッパーウェストサイドにある学校で、幼馴染で一緒にバンドをやっていたジュリアンとニコライのコンビに、ニックとファブのこちらも幼馴染コンビが出会う。そこにLAから映画の勉強にやってきていたアルバートが加わり、結成される。
2001年、イギリスのラフ・トレードにデモ・テープを送り、契約に至る。3曲入りのシングル「ザ・モダン・エイジ」(THE MODERN AGE)を発表。これがきっかけでイギリスで人気が爆発。音楽誌はこぞって“NEXT BIG THING”として取り上げる。同年8月にデビューアルバム『イズ・ディス・イット』を発売し、全世界でヒットさせる。
2002年、2月に初の来日公演を行う。チケットは即日完売となり、会場によっては当初より大きい会場に変更されるハプニングもあった。
2003年、2ndアルバム『ルーム・オン・ファイア』を発表する。「12:51」、「レプティリア」(REPTILIA)がヒットし、人気を確かなものとする。8月にはサマーソニックに出演。
2006年、3rdアルバム『ファースト・インプレッションズ・オブ・アース』を発表する。この年のフジ・ロック・フェスティバルではヘッドライナーを務める。

1960年代前後のガレージロックサウンドを彷彿とさせ、ガレージロック・リバイバルの代表格としてホワイト・ストライプスと共に有名である。しかしその音楽性はストライプスとは大きく異なり、都会的で洗練された曲調が持ち味。同じく出自がニューヨークであり、そのアンダーグラウンドで活躍して後のロックに多大な影響を与えたヴェルヴェット・アンダーグラウンドやテレヴィジョンといったバンドと似た雰囲気を持っていると評価され、実際にメンバーもそれらからの多大な影響を公言している。

2000年代に差し掛かった当時、アメリカではヒップホップやR&Bなどの黒人音楽勢やラップメタル/ヘヴィロックが、イギリスではレディオヘッドやコールドプレイなどの陰鬱な雰囲気を持った、およそ陽性なロックンロールとは相容れないアーティスト達がそれぞれセールスを伸ばして隆盛していた。そんな中でストロークスは"60年代前後のロックンロール/ガレージ・ロックを現代の若者風にスタイリッシュに解釈"したとも言えるサウンドにより人気を博し、そのようなシーンの中で「ロックの復権」「ロックンロール・リバイバルの旗手」「援助交際」として評された。これはロックミュージックのセールスが黒人音楽勢に押されて危うくなっていたUKを中心としたマスメディアによるハイプだ、との見方もあったが、結果的にストロークスは前述のアーティスト以上のリスナーからの支持を勝ち得ることになり、実際にそのあとのシーンではストロークスに影響を受けて感化された後進/若手バンドが数多く登場した。ザ・リバティーンズ、フランツ・フェルディナンド、アークティック・モンキーズ、カイザー・チーフスなど大きな成功を収めた00年代のUKガレージ・ロック/ポストパンクバンドはみなストロークスからの影響を公言している。

2009年4月 6日 (月)

New Order

ニュー・オーダー (New Order) は、マンチェスターにて結成されたイギリスのニュー・ウェイヴ・バンド。前身はポスト・パンクの代表的なバンドの一つジョイ・ディヴィジョン。 バーナード・サムナー(Bernard Sumner) -ボーカル、ギター、キーボード - 通称バーニー ピーター・フック(Peter Hook) -ベース、ドラム - 通称フッキー スティーヴン・モリス(Stephen Morris) -ドラム、キーボード ジリアン・ギルバート(Gillian Gilbert) -キーボード、ギター 1982年加入、2001年脱退 フィル・カニンガム(Phil Cunningham) -ギター 2005年加入 1980年に作詞兼ヴォーカル担当であったイアン・カーティス(Ian Curtis)が自殺したため活動停止を余儀なくされたジョイ・ディヴィジョン。残された3人のメンバーは紆余曲折の末、バーナードがイアン・カーティスに代わりにボーカルとギターを担当し、当時モリスのガールフレンド(のちにモリスと結婚することとなる)でパンクバンドで活動していたジリアン・ギルバートをキーボードとギター担当の新メンバーとして迎え入れ、バンド名も新たに「ニュー・オーダー」として活動を開始。途中、家庭の事情(子供の病気)でジリアンが脱退し、サポートメンバーだった元マリオンのフィル・カニンガムを正式メンバーに加え現在に至る。その命名の由来はナチス・ドイツの提唱した「新秩序」であるが、メンバーによると政治的な意図は無く単に響きで選んだものであるとのこと。 ファーストアルバムこそジョイ・ディヴィジョンの延長線上ともいえる陰鬱なサウンドだったが、12インチシングル「エヴリシングス・ゴーン・グリーン」を発表した時期から元々導入していたエレクトリックサウンドの比重が高まり、ギターとエレクトロニクスを融合させたロックバンドの草分け的存在の一つとなった。また1983年の「ブルーマンデー」のロングヒット、さらにヒップホップにおける代表的なプロデューサーであったアーサー・ベイカーと組んだ「コンフュージョン」等により今や世界のクラブシーンで直接的、間接的を問わず「彼らの影響を受けていない人間を探すことは難しい」とさえいわれる。 彼らの楽曲はフォークロック然としたギターサウンドから完全なエレポップまでと曲毎のアレンジの振幅が激しく、また同じ名前を冠する曲でもシングルとアルバムではまったく別物であったりする場合があるため、アルバムメインのリスナーとシングルメインのリスナーではかなり印象の違うバンドである。 特にベース担当のピーター・フックのベースをヒザ近くまで低く構えた演奏スタイル、そして高音域でメロディーを引っ張っていくメロディアスなプレイは独特で、世界中のミュージシャンからリスペクトされている。 また、彼らは大胆に電子音楽、ハウス音楽の要素を最初に本格的に取り入れたバンドの一つであるのみならず、所属レーベルのファクトリー・レコードの社長であるトニー・ウィルソンと共にクラブ、ハシエンダをマンチェスターに1982年にオープンし経営に参加、英国の初期のクラブ文化の発展に寄与し、1980年代終わりから1990年代始めに掛けて世界中に衝撃を与えたマッドチェスターやセカンド・サマー・オブ・ラブといった音楽シーンを生み出す母体となった。こうした経緯と、ロックとダンスの融合を試みた数多くのシングルのリリースにより、現在の若いDJやダンス系のアーティストにはニュー・オーダーへの憧憬と彼らからの影響を公言するアーティストが少なくない。 レコードジャケットなどのグラフィックデザインは前身のジョイ・ディヴィジョン時代からその殆どをグラフィックデザイナーのピーター・サヴィルが手がけているが例外もある。例えばジョイ・ディヴィジョン時代の自主制作シングルレコードの「An Ideal for Living」のジャケットデザインはバーナード自身によるものである。またニュー・オーダーの作品の中でも「エヴリシングス・ゴーン・グリーン」のジャケットデザインはバーナードとジリアンの共同デザイン。 活動期間の長いバンドの例にもれず、メンバー間の確執は根強い。特に顕著だったのは「リパブリック」のプロデュース等をめぐりバーナード・サムナーと他の3人が対立。文字通り解散一歩手前の状態に陥り、メンバーそれぞれが別プロジェクトの活動に専念した事も重なり、結果的に「ゲット・レディ」製作までに8年近くのブランクが生じたことである。 さらに2007年、ピーター・フックは複数のメディアで「バーナードとは一緒にやっていない」と述べ「ニュー・オーダーは解散した」と明言したが、2007年6月、バーナードとモリスは英BBC Newsに宛てた文書を通じて正式に「解散はせず今後も2人で活動を続けて行く」とコメントし、事実上フッキーは脱退したとの認識を明らかにした。これに対しフッキーはMySpace上の自身のページにて「バンドはもう終わった。残り三分の二(バーナードとモリス)に活動を続ける権利は無い。俺にも三分の一の権利がある」と改めて解散を宣言、交渉に応じるとも述べながら、裁判を示唆するコメントを残している。また、『5番目のメンバー』フィル・カニンガムの立場については不透明な状況になっている。 ムーブメント Movement (1981) 権力の美学 Power, Corruption and Lies (1983) ロウ・ライフ Low-Life (1985) ブラザーフッド Brotherhood (1986) テクニーク Technique (1989) リパブリック Republic (1993) ゲット・レディー Get Ready (2001) ウェイティング・フォー・ザ・サイレンズ・コール Waiting For The Sirens' Call (2005)

2009年3月25日 (水)

BUCK-TICK

BUCK-TICK(ばくちく)は、群馬県出身のロックバンド。現在はBMG JAPAN所属。

1987年のメジャーデビュー以来、メンバーチェンジを一度も行わず現在に至る。 現在も非常に精力的な活動をしている。1988年『JUST ONE MORE KISS』がオーディオ機器(当時の所属レコード会社ビクターのCDラジカセ CDian。コピーは「重低音がバクチクする」)のCMタイアップに使われてヒットし、人気が出る。ビジュアル系の元祖の一つであるとも言われる。

櫻井敦司(さくらい あつし 1966年3月7日 - 、群馬県藤岡市出身)
ボーカル、作詞。
初期の頃は新字体で「桜井敦司」、または「ATSUSHI」と表記されていた。愛称は「あっちゃん」。
今井寿(いまい ひさし 1965年10月21日 - 、群馬県藤岡市出身)
ギター、ノイズ、コーラス、作詞、作曲。
初期の頃は「HISASHI」と表記されていた。特に愛称はなく「今井」、「今井くん」、「今井さん」などと苗字で呼ばれることが多い。
星野英彦(ほしの ひでひこ 1966年6月16日 - 、群馬県藤岡市出身)
ギター、キーボード、コーラス、作曲。
初期の頃は「HIDE」と表記されていた。愛称は「ヒデ」。
樋口豊(ひぐち ゆたか 1967年1月24日 - 、群馬県高崎市出身)
ベース。
初期の頃は「U-TA」と表記されていた。愛称は「ユータ」。
ヤガミトールは実の兄。
ヤガミトール(1962年8月19日 - 、群馬県高崎市出身)
ドラムス。
初期の頃は「TOLL」と表記されていた。愛称は「アニイ」。
樋口豊は実の弟。
現在においてもメンバー中、唯一髪を立て続けている。

アルバム [編集]
タイトル 種類 発売日 最高順位 レーベル
HURRY UP MODE オリジナル
(インディーズ盤) 1987年4月1日 - 太陽レコード
SEXUAL×××××! オリジナル 1987年11月21日 33位 ビクター
ROMANESQUE ミニアルバム 1988年3月21日 20位 ビクター
SEVENTH HEAVEN オリジナル 1988年6月21日 3位 ビクター
TABOO オリジナル 1989年1月18日 1位 ビクター
悪の華 オリジナル 1990年2月1日 1位 ビクター
HURRY UP MODE (1990MIX) オリジナル
インディーズ復刻版 1990年2月8日 1位 ビクター
Symphonic Buck-Tick in Berlin コンピレーション 1990年7月21日 34位 ビクター
狂った太陽 オリジナル 1991年2月21日 2位 ビクター
殺シノ調べ This is NOT Greatest Hits セルフカバー 1992年3月21日 1位 ビクター
darker than darkness -style 93- オリジナル 1993年6月23日 2位 ビクター
シェイプレス コンピレーション
(限定版) 1994年8月24日 5位 ビクター
Six/Nine オリジナル 1995年5月15日 1位 ビクター
CATALOGUE 1987-1995 ベスト 1995年12月1日 8位 ビクター
COSMOS オリジナル 1996年6月21日 6位 ビクター
SEXY STREAM LINER オリジナル 1997年12月10日 4位 マーキュリー
LTD アナログ・レコード 1998年3月11日 - マーキュリー
SWEET STRANGE LIVE DISC ライブ 1998年8月12日 17位 マーキュリー
BT ベスト
(2枚組) 1999年3月20日 16位 ビクター
97BT99 コンピレーション
(2枚組) 2000年3月29日 39位 マーキュリー
ONE LIFE,ONE DEATH オリジナル 2000年9月20日 11位 BMGファンハウス
ONE LIFE,ONE DEATH CUT UP ライブ
(2枚組) 2001年3月28日 32位 BMGファンハウス
スーパー・バリュー/BUCK-TICK コンピレーション 2001年12月19日 - キティMME
極東 I LOVE YOU オリジナル 2002年3月6日 12位 BMGファンハウス
Mona Lisa OVERDRIVE オリジナル 2003年2月13日 7位 BMGファンハウス
at the night side ライブ 2004年4月7日 34位 BMGファンハウス
十三階は月光 オリジナル 2005年4月6日 4位 BMGファンハウス
CATALOGUE 2005 ベスト 2005年12月7日 13位 BMG JAPAN
PARADE〜RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK〜 トリビュート 2005年12月21日 14位 BMG JAPAN
天使のリボルバー オリジナル 2007年9月19日 5位 BMG JAPAN
memento mori オリジナル 2009年2月18日 7位 BMG JAPAN

2009年3月11日 (水)

イエロー・マジック・オーケストラ

イエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)は、1978年に結成された日本の音楽グループ。略して「YMO」(ワイ・エム・オー)と称する。

YMOはテクノポップと呼ばれるジャンルを代表するグループであり、国内ではしばしば「テクノ」とも呼ばれた。ただしこれは現在でいうテクノとは異なる概念であり、世界的にはシンセポップもしくはエレクトロ・ポップと呼ばれている。

細野晴臣(ベース)
エイプリル・フール、はっぴいえんど、ティン・パン・アレーを経て、YMOを結成。YMOのリーダー・プロデューサーであり、シンセサイザーとコンピュータを用いるYMOの音楽スタイルを打ち出した。宗教や民俗学など神秘主義的な趣味があり、それらもYMOに影響を与えている。ライヴではほぼベーシストに徹し、特筆すべきはシンセサイザーをベース代わりに演奏していたことである(ただし、曲によってはエレクトリックベースを使用している部分もある)。YMO散開後は特にアンビエント、エレクトロニカ等のジャンルを取り入れている。
高橋幸宏(ドラムス・ヴォーカル)
サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックスを経てYMOに参加。YMOをきっかけに機械のビートと同期してドラムを演奏した最初期のドラマーである。また、ライヴではドラムを叩きながら自らヴォーカルをとるという異色なスタイルで演奏していた。ファッションデザインの技能を生かしてYMOではステージ衣装のデザインを手掛けた。YMO散開後はソロ活動とともに、様々なミュージシャンとのコラボレーションやプロデュース業を展開している。
坂本龍一(キーボード)
YMOで唯一、音大出身のミュージシャン。スタジオミュージシャンとして活動した後、YMOに参加。YMOでは松武秀樹とともにレコーディングにおいて楽曲を構築する重要な役割を果たし、またライヴでは楽曲のアレンジを一手に引き受けた。YMO散開後は映画音楽で成功するなどソロ活動を展開している。彼の「教授」という愛称の名づけ親は高橋である。
担当パートについては主に演奏されるものであり、一部のレコーディングやライヴ、TV番組では上記以外のパートを担当することもあった。 YMOは元々はコンセプトバンドとして構想されたものであり、細野はメンバーの人員構成は流動的にする考えを持っていた[1]が、ライヴなどでサポートメンバーを迎えることはあってもYMOのメンバー自体は最初から最後までこの三人であった。

2009年3月 4日 (水)

Korn

コーン(Korn、KoЯn表記もあり)は、ニュー・メタルの流れにあるミクスチャー・ロック・バンド。アメリカ出身。1994年デビュー。1990年代のヘヴィ・ロックシーンにおけるパイオニアの一つとして数えられる。

カリフォルニア州ベーカーズフィールド出身。L.A.P.D.というバンドが母体となり結成。2005年2月ギタリストヘッド(Brian "Head" Welch)が宗教上の理由で脱退。2007年1月、ドラマーのデイヴィッド・シルヴェリア(David Silveria)がバンドを一時的に離脱する事を表明。

kornの曲には公式の歌詞が掲載されていない(日本盤などで掲載されているものもあるが、それはレコード会社が独自に聞き取ったもの)。これはバンド側が意図して掲載しないためである。ジョナサンはこれに関して、「目で読むのではなく、耳で聞いてほしい」と発言している。またジョナサンは他人が聞き取った歌詞を読むのが好きらしく、たまにそれに関したコメントを残している。

なお、同じくアメリカのバンドであるリンプ・ビズキットは、コーンに見出されデビューした経緯がある。コーンと共に頭角を現したプロデューサーのロス・ロビンソンは他にリンプ・ビズキット・スリップノットなどのプロデュースもこなしている。

ボーカル:ジョナサン・デイヴィス(Jonathan Houseman "HIV" Davis)
ボーカリストであると同時にバグパイプの名手であるほか優れたドラム・スキルも持つ。
ジョナサンは幼少期に親から虐待を受けており、そのため曲や歌詞にダークな部分が垣間見られる。
3rdのリリース後あたりから、ライヴでの衣装には、アイルランド衣装のキルト・スカートを好んで着用するようになり、ジョナサンのトレードマークともなっているほか、5th以降、スイスの画家、H.R.ギーガーのデザインした特注マイクスタンドを使用している。
デビュー当時は吐瀉物を食べる、ほかのメンバーの小便を進んで飲むなど、常軌を逸した変態的な行動が多かった。
2006年に特発性血小板減少性紫斑病を患い、入院した。
今でこそ肥満体だが初期はかなり痩せていた。
趣味は狩猟とポルノビデオ収集。
ギター:マンキー(James Christian "Munky" Shaffer))
主にダウンチューニングされたIbanez製7弦ギターを使うギタリスト。
マンキーというあだ名の由来は、足の指が手のように自由に動き、デイヴィッドに「猿のようだ」と言われたことに由来する。
3rdリリース前のロラパルーザの最中にウイルス性脳炎を患い、命が危ぶまれたこともあった。
もともとギターソロは行わない性格のバンドだが、前々から速弾きが好きらしく、7thリリースツアーではギターソロを披露している。
Ibanezからシグネイチャーモデル"K7""Apex1""Apex2"がでているほか、最近は8弦ギターや、PRSの7弦ギターなども使用する。
一時期"James The Gollira"とクレジットされたこともある。
趣味はギター収集。
ベース:フィールディ(Reginald "Fieldy" Arvizu Jr.))
B-Boy的な容姿がバンド内で異質な雰囲気を放っているベーシスト。
Ibanez製の5弦ベースを使用する。
ヒップホップ、とりわけ西海岸のギャングスタラップが好きで、Korn内にヒップホップのテイストが備わっているのも、おそらく彼の影響であると思われる。
中音域を完全にカットしたいわゆるドンシャリサウンドで、独特のスラッピングで演奏し、バスドラムのような狂気じみた音を出す。
フィールディというニックネームの由来は、ジム・デイヴィス作の新聞漫画"Garfield"の主人公の雄猫、ガーフィールドに笑顔が似ていたからとされている。(エストニアでのジョナサンのインタビュー記事による)
Ibanezより、シグネイチャーモデル、"K5"がでているほか、15弦ベースも制作した。
一時期"Dog"とクレジットされたこともある。
趣味は羊のグッズのコレクション。

2009年2月27日 (金)

Linkin Park

リンキン・パーク (Linkin Park) は、アメリカ合衆国のバンド。1996年に結成されたバンドSuper Xeroを前身としている。幅広いジャンルの音楽要素を取り入れており、オルタナティブ・ミュージックの独自のミュージック・センスを持つ。2000年にリリースしたデビューアルバム、『ハイブリッド・セオリー』で一躍有名となった。
チェスター・ベニントン (ボーカル)
マイク・シノダ (ボーカル、ギター、キーボード)
ジョー・ハーン (DJ)
ブラッド・デルソン (ギター)
ロブ・ボードン (ドラムス)
フェニックス (ベース)

ヘヴィ・ロック、ヒップ・ホップ、ハードコア、インダストリアルなど様々な音楽要素に影響を受けている。一般にはミクスチャー・ニューメタルやラップコアに分類される事が多いが[12]、当人はラップ・ロック、ニューメタルといったジャンル分けにはうんざりしていたという[13]。その影響もあってか3rdアルバムでは大きく転向し、従来の楽曲に見られたマイクによるラップボーカル、随所に鏤められたチェスターのシャウト、ヘヴィなサウンドはほとんど姿を消し、チェスターによる哀愁感あるロック・バラードが前面に出た作品になった。

通常はマイクがラップ、バックコーラスを、チェスターがメロディック、ロック、シャウトを担当する。この様な2ボーカルによる明確な役割分担が、緩急ある曲展開を成す要因となっている。

バンドサウンドよりも打ち込みとサンプリングを多用したオケ作りをすることが多い。そのキャッチーさからコアなファンのみならず多くのリスナーの支持を得ている。

歌詞中には、fuckなどのいわゆる"Fワード"が2ndアルバムまで含まれていないことも特徴。(3rdアルバムの一部の曲(ギヴン・アップ等)には含まれる為、これについては海外ではFワードのないclean版も発売される)

Kerrang Awards / Best International Newcomer[14]
Finland's Emma Awards / Best Foreigner Artist of The Year
2002年
第44回グラミー賞 - 最優秀ハード・ロック・パフォーマンス (『Crawling』)
ECHO Awards - Best International Nu-Metal/Alternative Artist
MTV Video Music Awards - 最優秀ロック・ビデオ (『In the End』)
Swedish Hit Music Awards - Best Foreign Rock Group
MTVヨーロッパ・ミュージック・アワーズ - ハード・ロック最優秀グループ
2003年
アメリカン・ミュージック・アワーズ - オルタナティヴ・ロック最優秀アーティスト
MTV Video Music Awards - 最優秀ロック・ビデオ (『Somewhere I Belong』)
2004年
MTV Video Music Awards - Viewer's Choice Award (『Breaking The Habit』)
Radio Music Awards - Artist of the Year - Rock Radio
Radio Music Awards - Song of the Year - Rock Radio (『Numb』)
2005年
MTV Video Music Awards Japan - 最優秀グループビデオ (『Breaking The Habit』)、最優秀コラボレーションビデオ (『Numb/Encore』)[9]
2006年
第48回グラミー賞 - 最優秀ラップ/ソング・コラボレーション(『Numb/Encore』)
2007年
MTVヨーロッパ・ミュージック・アワーズ - 最優秀バンド[15]
アメリカン・ミュージック・アワーズ - オルタナティヴ・ロック最優秀アーティスト[16]

2009年2月14日 (土)

TOKIO

TOKIO(トキオ)は、城島茂、山口達也、国分太一、松岡昌宏、長瀬智也から構成される、ジャニーズ事務所所属のロックバンド。レコード会社は、ソニーミュージックエンタテインメント→ユニバーサルミュージックを経て、2008年9月3日発売の「雨傘/あきれるくらい 僕らは願おう」よりジェイ・ストームに所属。来歴も参照。

城島茂 (じょうしま しげる、1970年11月17日 - 、O型)担当はギター(リーダー)
山口達也 (やまぐち たつや、1972年1月10日 - 、O型)担当はベース
国分太一 (こくぶん たいち、1974年9月2日 - 、O型)担当はキーボード、ピアノ
松岡昌宏 (まつおか まさひろ、1977年1月11日 - 、A型)担当はドラム
長瀬智也 (ながせ ともや、1978年11月7日 - 、O型)担当はボーカル(曲によってはリズムギターを担当)

ジャニーズ事務所のグループとしては異色のバンド編成となっているが、コンサートではダンスもする(2006年のライブでは、自分たちの音を聞かせたいためダンスは行わなかった)。
男闘呼組の後継者とされるが、男闘呼組はハードロック系、TOKIOはパワーポップ系と、音楽性は著しく異なっている。また、サポートメンバーを必要とする(正式メンバーにドラムス担当がいない)男闘呼組に対し、TOKIOはサポートメンバーなしで演奏することが多い。
ライブなどでは楽器交換をして演奏することもあり、自分の担当楽器以外も演奏することができる。これによりシャッフルバンド「アソビゴコロ」と「スクールフェスティバル」が存在する。
本業である音楽の面では、後輩のV6やKinKi Kidsがデビュー後から勢いづく中、TOKIOの波は上下が激しかった。しかし、2000年以降は多くのヒット曲にも恵まれ、2006年からそれまでのポップスだけでなく、ロックへの進出も果たしつつある。
ファンの間では山口達也・国分太一の下の名前のイニシャルがTで始まる2人を"T2"、身長180cm以上ある松岡昌宏・長瀬智也の2人を"ツインタワー"、日清オイリオグループの日清ヘルシーリセッタのCMに2人一緒に出演したことから城島茂・山口達也の2人を"リセッタコンビ"、身長がメンバー1高い長瀬智也とメンバー1低い国分太一で"凸凹T2"や"サッカー兄弟"(どちらもサッカー好きなため)など、コンビ名をつけて呼んでいる(このコンビ・トリオ名はどの組み合わせにもある)。
『ザ!鉄腕!DASH!!』では各メンバーが数多くの企画をこなす。
そんなTOKIOの各メンバーの個性や活躍ぶりから、今や『ジャニーズ所属者史上、最もジャニーズタレントらしくないグループ』と一部では言われている。同様のことはSMAPについても言われることが多いが、ドリフのルーツを考えるとその称号はバンド活動を基盤に置いているTOKIOの方にこそ相応しいのではないか、という意見もある。[要出典]
落語を扱う仕事が増える傾向にある。映画「しゃべれどもしゃべれども」、ドラマ「上を向いて歩こう〜坂本九物語〜」、「林家三平ものがたり おかしな夫婦でどーもスィマセーン!、」、「タイガー&ドラゴン」、バラエティー「大笑点」など。
メンバーで食事会をしたり、未だに5人全員が同じ楽屋であるなど、メンバーの仲が良いことで有名である。
TOKIO(東京)というグループ名だが、現在のメンバーのうち東京都出身者は国分太一のみである。

LOVE YOU ONLY(1994年9月21日)
明日の君を守りたい 〜YAMATO2520〜(1994年12月12日)
うわさのキッス(1995年4月12日)
ハートを磨くっきゃない(1995年6月21日)
SoKoナシLOVE(1995年8月21日)
好きさ 〜Ticket To LOVE〜(1995年10月21日)
風になって(1995年12月2日)
MAGIC CHANNEL(1996年2月26日)
ありがとう…勇気(1996年7月22日)
Everybody Can Do!(1996年11月25日)
フラれて元気(1997年2月11日)
Julia(1997年5月28日)
この指とまれ!(1998年3月4日)
Love & Peace(1998年5月20日)
君を想うとき/Oh! Heaven(1999年2月17日)
何度も夢の中でくり返すラブ・ソング/溢れる想い(1999年6月30日)
忘れえぬ君へ…(1999年8月25日)
愛の嵐(1999年11月10日)
みんなでワーッハッハ!/愛はヌード(2000年5月31日)
恋に気づいた夜(2000年9月13日)
どいつもこいつも/ボクの未来(2001年3月7日)
メッセージ/ひとりぼっちのハブラシ(2001年5月30日)
カンパイ!!(2001年8月8日)
DR/Only One Song(2001年10月31日)
花唄(2002年3月6日)
GREEN(2002年7月10日)
ding-dong/glider(2002年12月4日)
AMBITIOUS JAPAN!(2003年10月1日)
ラブラブ マンハッタン/ALIVE-LIFE(2003年12月3日)
トランジスタGガール(2004年3月3日)
自分のために/for you(2004年11月17日)
明日を目指して!(2005年12月7日)
Mr.Traveling Man(2006年2月8日)
Get Your Dream(2006年6月21日)
宙船/do! do! do!(2006年8月23日)
ひかりのまち/ラン・フリー(スワン・ダンスを君と)(2007年3月28日)
本日、未熟者/Over Drive(2007年8月15日)
青春 SEISYuN(2007年11月28日)
雨傘/あきれるくらい 僕らは願おう(2008年9月3日)

2009年2月10日 (火)

Pantera

パンテラ (Pantera) は、1981年にアメリカ合衆国テキサス州ダラスで結成されたヘヴィメタルバンドである。

初期においては比較的オーソドックスなHMバンドであったが、アンセルモ加入後、新たな音楽性を模索。1990年代に入り、独特の重さと激しさを持つサウンドを確立した。同時期に流行したグランジオルタナティブ・ロックムーブメントと連動する形で、90年代のHM/HRシーンに計り知れない影響を与えた。

『PANTERA』という言葉自体はラテン語、イタリア語、ポーランド語、スペイン語、ポルトガル語などでヒョウを意味するものであるが、バンド名『PANTERA』は彼らの出身地であるテキサス州パンテゴ (PANTEGO) に由来する。

1990年代以降のパンテラの特徴として、ギターとバスドラムの音が挙げられる。基本的にはエクソダス等のスラッシュ・メタルの影響下にあるものだが、さらに極端に過激でありながら聴き心地の良い音を出している。従来スラッシュ・メタルのギターサウンドではハイゲインのチューブ(真空管)ギターアンプ(マーシャル JCM-800、メサ・ブギー Mark-ⅳ等)が一般的であったが、パンテラはソリッドステート(トランジスタ)アンプのランドールRG-100を使い、それまでのスラッシュ・メタルよりも切っ先鋭いギターリフを刻んでいた。またファーマンのパラメトリックイコライザーも重要な役割を担っており、400~500Hzが持ち上がった(逆に1kHz付近は若干カット)中低域の太いギターサウンドでもあった。

『鉄板の上でゴム鞠をついた様な』とも形容されることがあるバスドラムは、手数の多い楽曲でも演奏が判別出来るようにアタック音が極端に強調された音で、さらにドラムトリガーを使用することにより50Hz付近の超低音域を補正、ギターサウンドに負けない強力な存在感のある音になっている。

なおこれらの音はサウンドガーデンやデフトーンズとの仕事でも知られるプロデューサーのテリー・デイトと協力して作り上げた。

1981年、ダレル・アボット(本名はダレル・ランス・アボット、後にダイアモンド・ダレル、ダイムバッグ・ダレルと名乗る) (G) 、ヴィニー・アボット(本名はヴィニー・ポール・アボット)(Dr) 、トミー・ブラッドフォード (B) 、テリー・グレイズ(後にテレンス・リーと名乗る) (G) 、ドニー・ハート (Vo) の5人で結成。当時はキッスやヴァン・ヘイレンなどのカバーが中心だった。
1982年、ドニー・ハートが脱退しテリー・グレイズがボーカルに転向。しばらくしてトミー・ブラッドフォードが脱退し、レックス・ロッカー(後にレックス・ブラウンと名乗る) (B) が加入。ドッケンやクワイエット・ライオットなどのサポートを務め、各地で人気を博していく。
1983年、自主レーベル「メタル・マジック」より1stアルバム『メタル・マジック - METAL MAGIC - 』をリリース。
1984年、2ndアルバム『プロジェクツ・イン・ザ・ジャングル - PROJECTS IN THE JUNGLE - 』をリリース。テリー・グレイズがテレンス・リーと名乗り始める。
1985年に3rdアルバム『アイ・アム・ザ・ナイト - I AM THE NIGHT - 』をリリース。
1986年、音楽の方向性の違いから、テレンス・リーが脱退。
1987年、幾度かのメンバーチェンジを経てフィル・アンセルモ (Vo) が加入、新たなサウンドを模索し始める。
1988年に『パワー・メタル - POWER METAL - 』を発表する。
1988年 、アトランティック・レコード系列のアトコと契約する。
1990年、メジャーデビューアルバム『カウボーイズ・フロム・ヘル - COWBOYS FROM HELL - 』をリリース、エクソダス、スイサイダル・テンデンシーズとともにツアーを行う。
1991年、スキッド・ロウの前座を務めたり、ジューダス・プリーストのヨーロッパツアーに同行するなどにより各地で知名度を上げる。
1992年に『俗悪 - VULGAR DISPLAY OF POWER - 』を発表、全米チャート44位をマークする。
1994年に『脳殺 - FAR BEYOND DRIVEN - 』を発表、全米チャート1位を獲得する。
1995年、グラミー賞の『ベスト・メタル・パフォーマンス』部門にノミネートされる。
アンセルモが酒とドラッグにのめり込むようになり、同時に、自身のサイドプロジェクト「ダウン」や「スーパージョイント・リチュアル」に時間を費やすようになったことから、アンセルモとバンドメンバーが次第に距離を置くようになる。
1996年に『鎌首 - THE GREAT SOUTHERN TRENDKILL - 』をリリース。
7月13日、アンセルモがヘロインの過剰服用により心停止、何とか一命を取り留めるも、バンドメンバーとの溝が更に深まる。
1997年に『ライヴ~狂獣 - OFFICIAL LIVE 101 PROOF - 』を発表する。
2000年、『激鉄 - REINVENTING THE STEEL - 』をリリース。
2001年、日本のヘヴィロック・フェスティバル「Beast Feast 2001」にスレイヤーとのダブル・ヘッドライナーとして出演する。
2003年、アンセルモがサイドプロジェクトでの活動を主にするようになったことから、他メンバーとの溝が一層深まり、解散。

メタル・マジック - METAL MAGIC (1983)
プロジェクツ・イン・ザ・ジャングル - PROJECTS IN THE JUNGLE (1984)
アイ・アム・ザ・ナイト - I AM THE NIGHT (1985)
パワー・メタル - POWER METAL (1988)
カウボーイズ・フロム・ヘル - COWBOYS FROM HELL (1990) プラチナム獲得(US)
俗悪 - VULGAR DISPLAY OF POWER (1992) 44位 2xプラチナム獲得(US)
脳殺 - FAR BEYOND DRIVEN (1994) 1位 プラチナム獲得(US)
鎌首 - THE GREAT SOUTHERN TRENDKILL (1996) 4位 プラチナム獲得(US)
激鉄 - REINVENTING THE STEEL (2000) 4位 ゴールド獲得(US) 

2009年2月 3日 (火)

JUDY AND MARY

JUDY AND MARY (ジュディ アンド マリー) は、日本のロックバンドである。略称は「ジュディマリ」あるいは「JAM」。

YUKI(ゆき、1972年2月17日 -、北海道出身)ヴォーカル
TAKUYA(たくや、1971年9月9日 -、京都府出身)ギター
恩田快人(おんだ よしひと、1963年12月13日 -、兵庫県出身)ベース リーダー
五十嵐公太(いがらし こうた、1963年1月17日 -、神奈川県出身)ドラム

1991年6月、ヘヴィメタルバンド「JACKS'N'JOKER」のメンバーとしてメジャーデビューしていた恩田が、映画『いつかギラギラする日』の撮影で北海道を訪れた際、エキストラとして参加していた当時短大生のYUKIと知り合う。映画スタッフ達との飲み会の場で、YUKIが「バンドをやりたいけどどうすればいいのかわからない」と恩田に相談した事がきっかけとなり[1]、1992年2月、YUKI、恩田、藤本泰司を中心に結成。同年4月、インディーズレーベルよりアルバム『BE AMBITIOUS』を発表。11月、サポートメンバーだった五十嵐公太が正式に加入。この頃はメインのバンドを持つ恩田のサイド・ソロ・プロジェクトに近く、メンバー全員そのつもりでおり、このバンドでのデビューは目指していなかった。その為、制作やliveの費用は全て恩田が負担し、メンバーにはギャラを支払っていた。「YUKIちゃんもこのアルバムを名刺代わりに(業界入り)出来れば」とは恩田の談。この時点では一回限りのつもりであり、アルバム発表・live後は既に解散状態になっていた。[2]

1993年2月、メジャーデビューを辞退した藤本泰司に代わる形でオーディションによりTAKUYAが加入。同年9月にエピックソニーよりシングル『POWER OF LOVE』でメジャーデビュー。恩田のソロ・プロジェクトであったはずだが、恩田はこのバンドへの熱意が解散後に強く湧き上がってきた為に再始動を決意。メンバーにはその事を告げず、先にデビューの段取りを行い、JACKS'N'JOKERの脱退~デビュー契約等全てが整った時点でメンバーに再始動を伝え、同意を求めた。藤本を除く全員がこれに同意したものの、既にソロアルバムの制作が決定していた藤本は、JUDY AND MARYでのデビューは辞退せざるを得ず、脱退。[3]

1994年1月、アルバム『J・A・M』発表。12月、佐久間正英プロデュースによるアルバム『ORANGE SUNSHINE』を発表。オリコンチャート初登場5位を記録し。同アルバムを引っ提げて行なわれたツアー『ORANGE SUNSHINE TOUR 』では初の渋谷公会堂公演を行なう。この頃、公式ファンクラブ「JAMP」が発足[4]。

1995年5月、初の日比谷野外音楽堂公演を含む『JUST A MAMBO TOUR』開催。6月に発売されたシングル『Over Drive』がオリコンチャート初登場こそ4位だったものの60万枚以上を売上げるヒットを記録。12月には前作と同じく佐久間プロデュースのアルバム『MIRACLE DIVING』を発表。このアルバムも100万枚に迫る売上げを記録した。

1996年、全国ツアー「MIRACLE NIGHT DIVING TOUR 1996」を開催。初の日本武道館、大阪城ホール公演を含む全国19都市23公演を行い、日本武道館公演では2日間に渡り開催。即日完売、満員を記録。2月、シングル『そばかす』がオリコンチャート初登場1位を獲得、100万枚の売上を記録した[5]。この年、同曲で「第47回NHK紅白歌合戦」に初出場した。

1997年3月、アルバム『THE POWER SOURCE』を発表。オリコンチャート初登場1位を獲得し200万枚以上を売り上げ、バンド史上最高セールスを記録[6]。初の国立代々木競技場第一体育館公演にして2日間公演、大阪城ホール2日間を含む全国ツアー「THE POWER SAUCE DELIVERY '97」を開催し、各地で即日完売となる。8月には横浜スタジアム、阪神甲子園球場を含む、初の野外スタジアムコンサートツアー「THE POWER STADIUM DESTROY '97」を開催。同年、YUKIの喉の不調のため一時活動休止。

1998年6月、アルバム『POP LIFE』を発表、100万枚以上を売り上げる。7月より初の全国アリーナツアー『POP LIFE TOUR '98』を開催。12月26日には初の東京ドーム公演『POP LIFE IN TOKYO DOME』を開催。2日後にオールスタンディングのシークレットライブ『Secret Live In The Garden Hall』を恵比寿ザ・ガーデンホールにて開催。『散歩道』で「第49回NHK紅白歌合戦」に2年ぶり、2度目の出場。以降、充電期間に入る。

1999年は初のライブアルバムとライブビデオ2本をリリースした以外はJUDY AND MARYとしての表立った活動は無かった。各メンバーはソロや別ユニットで活動。

約1年間の休止の後、 2000年2月、シングル『Brand New Wave Upper Ground』をリリースし、活動再開。3月には初のベストアルバム『FRESH』を発表、200万枚以上を売り上げる[7]。以降も積極的にシングルをリリースし、夏にはイベントライブにも出演。9月、YUKIが結婚を発表。11月に初のアコースティックライブ『ブエナ・ビータローカ・ソシアル・クラブバンドwithジュディ・アンド・マリー2000』をZEPP TOKYOにて開催するなど、精力的に活動。12月、翌年2001年1月にシングル、2月にはアルバムの発売を発表する。

2001年1月9日に全国紙朝刊の全面広告で解散を発表。同24日にオリジナルとしてはラストシングルとなる『ラッキープール』をリリース。2月にワタナベノブタカとの共同プロデュースによる2年8ヶ月ぶりにして最後のオリジナルアルバム『WARP』が発表された。アルバム発売日より同アルバムを引提げたラストライブツアー『WARP TOUR』をZEPP SAPPOROより開催し、各地のアリーナ会場・ドーム会場を廻り、3月7日、8日の東京ドーム2Daysライブをもって解散。翌日9日に『WARP』収録曲の『PEACE』にストリングスアレンジを加えた『PEACE -strings version-』を限定生産シングルとして発売。 同年5月、ファン投票をもとに選曲された2枚組みベストアルバム『The Great Escape -COMPLETE BEST-』を発売し100万枚に迫るセールスを記録。また同月に『WARP TOUR』東京ドーム公演の模様を納めたDVDを発売。6月、最後の新録PVを納めたDVD『PEACE』をリリース。

2001年の解散より5年後の2006年2月、2000年にリリースしたベストアルバム『FRESH』に同年から解散までの間にリリースしたシングル楽曲4曲を追加し、ロンドンでメンバーのTAKUYA立会いの下リマスタリングを施し、追加楽曲4曲のPVを収録したDVDを同梱したリニューアル盤『COMPLETE BEST ALBUM「FRESH」』を発売。オリコンチャート初登場2位を獲得し30万枚以上を売り上げ、『復活・再結成して欲しいバンド』と銘打っているようなランキングの類では必ずといって良いほど上位に入るなど、今なお根強い人気がある[8][9]。 『COMPLETE BEST ALBUM「FRESH」』発売時にはオフィシャルサイト等においてメンバー4人のコメントが発表されるなどしたが、解散以降に4人揃ってメディアに登場した事は現時点では無い。

2009年1月19日 (月)

キャロル

キャロル(CAROL)は、日本のロックバンド。1972年メジャーデビュー、1975年解散。 3年という短期間の活動ながらも強いインパクトを残し、以降の日本ロックシーンに絶大な影響を与えた伝説のバンドと称される。

矢沢永吉(Bass、Vo)
ジョニー大倉(Guitar、Vo)
内海利勝(Guitar)):横浜出身。神奈川県立柏陽高等学校卒業。キャロルのギタリストとして活躍。キャロル解散後はシマロンズを率いてアルバムを発表。いち早くレゲエのリズムを取り入れるなど意欲的ではあったが、ヒットには恵まれなかった。原田芳雄(俳優)のバックバンドのギタリストを勤めたこともある。現在もblues file No.1での活動やソロで精力的に活動中。
ユウ岡崎(Drums)

矢沢永吉が自ら書いた貼り紙で募集をかけ結成される。ちなみにそのとき貼り紙の文句は、「ビートルズとロックンロール好きなヤツ、求ム!」
もともと、ビートルズのコピーバンドとしてスタート。ハンブルク時代のビートルズのスタイル(革ジャン、リーゼント、ロックンロール)を真似することで注目を集める。また、オリジナル曲にもその影響が多く見られる。音楽スタイルとしては、レノン=マッカートニー手法ともいうべき、矢沢=大倉の二人で多くの作詞作曲を担当(主に矢沢永吉作曲、ジョニー大倉作詞)。
当初、バンドのコンセプトをつくっていたのはジョニー大倉。「キャロル」というバンド名に始まり、革ジャンにリーゼントというスタイル導入も彼の発案によるもの。なお矢沢永吉は、バンド結成当初はマッシュルームカットだった。
ある企画でフジテレビの人気番組「リブ・ヤング!」に出演したところ、たまたま番組を見ていたミッキー・カーチスの目に留まり、メジャーデビューが決定する。
プロデビューにおいては、内田裕也のレーベルか、ミッキー・カーチスのレーベルかでメンバーは迷った(ほぼ同時期に誘いを受けていた)。結局、バンドは内田に丁寧に侘びをいれ、ミッキーを選んだ。 しかし、金銭的にバンド側に著しく不利な契約を長期で結んでしまい、後にバンドはミッキーとも袂を分かつ。
後にダウン・タウン・ブギウギ・バンドに参加する相原誠がドラムスを担当していた時期もあったが、ユウ岡崎が正式メンバーとなった。
内田裕也、山本寛斎など大物との出会いが、バンドの存在を大きく変えていくこととなる。内田裕也プロデュースの「ロックンロール・カーニバル」では、サディスティック・ミカ・バンド、ファニー・カンパニーなどと共演することが多く、飛躍的に知名度を上げる。特にミカ・バンドとはツアーで回ることが多く、彼らの影響もあって音楽的な幅を広げることになる。
ジョニー大倉は当時、ドラッグに依存する生活ぶりで破綻をきたしていたこともあり、何度か失踪を繰り返していた。そのこともあり、最年長の矢沢永吉がバンド・マスターとしての地位を確立する。
矢沢永吉の卓越したリーダーシップが、メンバーを良い方向に回転させたと考えられる。彼の力強いボーカルは当時から大物の片鱗を見せており、ジョニー大倉の日本語と英語をミックスさせた秀逸な作詞センスは、後のアーティスト、作詞家に多大な影響を与えることになる。また、日本語を英語風に発音する独特の歌い方は多くのアーティストが模倣した。
メンバー間で軋轢が生じ、1975年4月13日、日比谷野外音楽堂で惜しまれつつ解散。矢沢永吉はソロ活動に転じ、日本を代表するロック・ミュージシャンに成長。ジョニー大倉はソロ活動の傍ら、俳優としても活躍。内海利勝は新グループを率いた。ユウ岡崎も現在『C's Graffiti Japanese Rock'n Roll Band』で活躍中である。
解散ライブでは、特殊効果用の火がセットに燃え移り、炎上するという事件も起きた。それを演出と思った観客も多かった。この解散ライブは「ロックのメッカ」としての、その後多くの「野音伝説」を生むきっかけとなった。

2009年1月10日 (土)

KISS

KISS(キッス)は、1973年1月に結成したニューヨーク出身のアメリカ合衆国のロックバンド。1970年代中期を代表するアメリカンハードロック/ヘヴィメタルバンドとして知られている。ヴィジュアル系バンドの原点の一つとも言われる。その後の音楽界(特にヘヴィメタル系や日本のヴィジュアル系列)に大きな影響をもたらしたと各方面より評価されている。

1998年発売の"Psycho Circus"以来、スタジオアルバムの新作は出しておらず、完全新作が待たれる。 また、ファンはキッスアーミー(KISSARMY)と呼ばれる。

ポール・スタンレー(サイドギター、リードボーカル)(1973-)
ジーン・シモンズ(ベース、リードボーカル)(1973-)
トミー・セイヤー(リードギター、「ショック・ミー」でのリードボーカル)(2002-)
エリック・シンガー(ドラムス、「ブラック・ダイヤモンド」でのリードボーカル)(1991-1996, 2001-2002, 2004-)

1974年 キッス・ファースト 地獄からの使者 Kiss 
87位 ゴールド(US)
1974年 地獄のさけび Hotter Than Hell 
100位 ゴールド(US)
1975年 地獄への接吻 Dressed to Kill 
32位 ゴールド(US)
1976年 地獄の軍団 Destroyer 
11位 3Xプラチナム(US)
1976年 地獄のロックファイヤー Rock and Roll Over 
11位 2Xプラチナム(US)
1977年 ラヴ・ガン Love Gun 
4位 4Xプラチナム(US)
1979年 地獄からの脱出 Dynasty 
9位 プラチナム(US)
1980年 仮面の正体 Unmasked 
35位 ゴールド(US)
1981年 〜エルダー〜 魔界大決戦 Music From "The Elder" 
75位(US)
1982年 暗黒の神話 Creatures Of The Night 
45位 ゴールド(US)
1983年 地獄の回想 Lick It Up 
24位 プラチナム(US)
1984年 アニマライズ Animalize 
19位 プラチナム(US)
1985年 アサイラム Asylum 
20位 ゴールド(US)
1987年 クレイジー・ナイト Crazy Nights 
18位 ゴールド(US)
1989年 ホット・イン・ザ・シェイド Hot In The Shade 
29位 ゴールド(US)
1992年 リヴェンジ Revenge 
6位 ゴールド(US)
1997年 カーニヴァル・オブ・ソウルズ Carnival Of Souls 
27位(US)
1998年 サイコ・サーカス Psycho Circus 
3位 ゴールド(US)
2008年 地獄烈伝 Jigoku Retsuden
(ベスト曲 再レコード盤)
2009年夏(名称未定)

2008年12月25日 (木)

HUSKING BEE

ハスキング・ビー (HUSKING BEE)は、1994年結成された4人編成のロックバンド。トウモロコシの皮むき会の意味。2005年3月6日解散。 メロコア、エモ等に分類される。元ini所属。略称は「ハスキン」。

ハイスタンダードに並んで日本においては1990年代のメロディックパンクバンドを牽引する存在であった。初期のころはまだ日本においてエモ/スクリーモ等の形容する言葉になじみがなかったためか、メロディックパンクバンドの位置づけで認識されていた。後にエモ等のアーティストを多数輩出するDOUGHOUSEより海外版をリリースすることにより、徐々に日本においてもエモの先駆者という扱いを受ける。1枚目のアルバム「GRIP」のみをトイズファクトリー内のPIZZA OF DEATH RECORDSよりリリースしているが、後にはINIというレーベルを立ち上げそちらからリリースを行うようになっている。PIZZAは現在の横山健(Hi-STANDARD)が運営しているものと違い、当時まだなじみのなかったPUNKをリリースするためのいわば名前だけの存在だった。『PUT ON FRESH PAINT』から『FOUR COLOR PROBLEM』までの1990年代後半から2000年代には絶大な基盤を確立していった。歌詞は初期は英語詞を主体としていたが、作品を発表する毎に日本語詞の割合を増やしていき、ラストアルバム「variandante」では全収録曲が日本語詞で書かれた。

ギター&ボーカル:磯部正文(いそべ まさふみ)広島県出身。
通称・いっそん。現在はCORNER、MARS EURYTHMICSで活動中。
CORNERでは、「small happiness」(2005年10月19日、FINE LINESとのスプリットシングル)、「single-01」(2006年5月31日)の2枚のシングル、「走るナマケモノ」(2003年8月20日)、「入り口出口」(2006年7月19日)の2枚のアルバムをリリース。
広島県立広島皆実高等学校卒。吉田拓郎、奥田民生の後輩にあたり、奥田とは雑誌の対談やライブイベントでの競演も果たしている。
ギター&ボーカル:平林一哉(ひらばやし かずや)
通称・どんどん。アニメ『BECK』では主人公の歌声を担当した。解散前からFINE LINESとしても活動。
ベース:てっきん(本名:工藤哲也、1973年 - )大分県大分市出身。
現在は平林らと共にFINE LINESで活動中。
ドラム:平本レオナ(ひらもとレオナ)
現在はbrownsetで活動中。

1994年7月に4人編成で結成。1995年1月にボーカル・ドラムが脱退し、元CAPTAIN HEDGE HOGの平本レオナがドラムで加入。ボーカルを磯部が担当することで3人編成となる。
2000年10月4日に元THE NERVELAND、SPIT MIDDLE FINGERの平林一哉が加入し4人編成となる。
2005年3月6日のZEPP TOKYOでのライブ「LAST TOUR050306」で解散となった。

ディスコグラフィ

[編集] シングル
A SINGLE WORD/PIZZA OF DEATH RECORDS(1997年9月21日)-2000年3月1日再発
A SINGLE WORD/LIFE/OUT OF SIGHT,IN MY MIND
THE SUN AND THE MOON/TOY'S FACTORY(1999年10月6日)
THE SUN AND THE MOON/STILL IN THE SAME PLACE?/後に跡/FACE THE SUNFLOWER
HUSKING BEE/POLLEN ini split ep/INI RECORDS(2000年6月1日)
ALL AS I,AS I'M ALL/I'M A TREE/GIRLS LOVE ROBOTS/EVERYBODY ELSE
AUTUMNAL TINTS/TOY'S FACTORY(2001年9月19日)
新利の風/NEW HORIZON/コロロコリー/カフェイ
Day of the Sun/青い点滅/TOY'S FACTORY(2002年11月20日)
Day of the Sun/青い点滅

[編集] アルバム
GRIP/PIZZA OF DEATH RECORDS(1997年2月21日)-2000年2月23日再発
ANCHOR/8.6/WALK/THE SHOW MUST GO ON/SHARE THE JOY OF OUR TOUR/BEAR UP/QUESTION/ONLY WAY/DON&T CARE AT ALL/GO IT ALONE/MY OWN COURSE/BEAT IT/ALL YOUR LIFE/S.E./THE SHOW MUST GO ON
PUT ON FRESH PAINT/TOY'S FACTORY(1998年10月7日)
SING TO ME/LIFE/PUT ON FRESH PAINT/SUN MYSELF/ON THE SURFACE/ONE DAY/AMBITIOUS MEN/PEOPLE AROUND ME/A SINGLE WORD/WOULDN'T IT BE NICE/NATURAL COURSE/YOU CAME BACK/OUR WINGS
FOUR COLOR PROBLEM/TOY'S FACTORY(2000年10月4日)
#4/A SMALL POTATO'S MIND/欠けボタンの浜/D.W.S./ALL AS I,AS I'M ALL/BY CANCE/SKETCH/STILL IN THE SAME PLACE?/I'M A TREE/海の原/THE SUN AND THE MOON/DAY BREAK
the steady-state theory/TOY'S FACTORY(2002年9月19日)
Cosmic rays/Dawn and gone/The steady-state theory/Ways to step/いつのまにか/オーバーラップワルツ/これ、からだ/Miss/NEW HORIZON/バランス予報/一道のイデア/Day of the sun/新利の風~サラウンド/瞬く過現未
variandante/TOY'S FACTORY(2004年4月21日)
摩訶不思議テーゼ/新旧ダイナミズム/煙で奴論/Just a beginning/アドバイス/ロバの口真似/掌に花片/カナリア/SO TRAGICOMICAL/ハイブリッドニューモード/ならば、、ここに/雲のいびき
ANTHOLOGY 1994~2004/TOY'S FACTORY(2005年3月24日)ベストアルバム

[編集] VIDEO・DVD
CLIPS/TOY'S FACTORY(2002年11月20日)
050306/TOY'S FACTORY(2005年5月11日)

[編集] 参加作品
エレファントカシマシトリビュートアルバム「花男」(2003年)
2.さらば青春
DIVE INTO DISNEY(2002年)
6.BABY MINE
ALLトリビュートアルバム「It`s gonna be Allright」(2001年)
6.Birthday I.O.U.
極東最前線(2000年)
5.海の原

[編集] トリビュート・アルバム
HUSKING BEE(2007年3月21日)
豪華アーティスト参加によるトリビュートアルバム
LIV-ING HUSKING BEE-ING~tribute to HUSKING BEE~(2007年9月5日)

2008年12月16日 (火)

SCANDAL

SCANDAL(スキャンダル)は、2006年8月に大阪で結成された日本のガールズバンド。

HARUNA(1988年8月10日 - ) ボーカル・ギター担当。A型。愛知県出身
TOMOMI(1990年5月31日 - ) ベース・ボーカル担当。A型。 兵庫県出身
MAMI(1990年5月21日 - ) ギター・ボーカル担当。AB型。愛知県出身
RINA(1991年8月21日 - ) ドラムス・ボーカル担当。B型。奈良県出身

清水翔太など多くのアーティストを輩出しているキャレスボーカル&ダンススクール大阪校のTOMOMI、RINA、名古屋校のHARUNA,MAMIによって結成される。初めてのライブはなんばハッチで行われたイベントにオープニングアクトとして出演。

ディスコグラフィー
スペースレンジャー (2008年3月3日/KTCD-2001/キティライツ&エンターテインメント) ※タワーレコード1000枚限定
 作詞:TOMOMI/HARUNA 作曲:下畑良介 編曲:下畑良介/MASTERWORKS

恋模様 (2008年4月4日/KTCD-2002/キティライツ&エンターテインメント) ※タワーレコード2000枚限定
 作詞:HARUNA 作曲:MASTERWORKS 編曲:MASTERWORKS

カゲロウ (2008年5月5日/KTCD-2003/キティライツ&エンターテインメント) ※タワーレコード2000枚限定
 作詞:TOMOMI 作曲:Jin Nakamura 編曲:Jin Nakamura

DOLL (2008年10月22日/エピックレコードジャパン)

2008年12月 1日 (月)

Dragon Ash

Dragon Ash

Dragon Ash(ドラゴン・アッシュ)は、日本のミクスチャーロックバンド。ビクターエンタテインメント内のレーベル、MOB SQUADに所属する。

オルタナティブ、パンクロック、ハードコアパンク、ヒップホップ、エレクトロニカやラテンなど、様々なジャンルの音楽を取り入れたミクスチャー・ロックを構築する。 J-POPシーンにおけるラップ・ミュージック、ヒップホップの人気に大きく貢献したバンドである。

バンド名の「Dragon Ash」はKjが考えた造語であり、"drag on ash"(だらだらしていたら灰になる)という意味を込めている。

Kj(降谷建志) - ボーカル、ギター、作詞、作曲を担当。父親は俳優の古谷一行。
IKÜZÖNE(馬場育三) - ベースを担当。メンバー募集のオーディションにより加入。それ以前はVirus(X JAPANのYOSHIKI主宰のEXTASY RECORDSのバンド)などに所属。メンバーの中でも特に年長者。千聖のソロプロジェクトCrack 6にも参加。前述の経歴から生前のhideと親交があり、彼の死後はアンプヘッドにhide人形を飾っている。
MAKOTO SAKURAI(桜井誠) - ドラムを担当。Kj、BOTSとは同級生。HIROKIと共にendiveとしても活動している。千聖(from PENICILLIN)ソロプロジェクトCrack 6にも参加。
BOTS(佐藤哲也) - ターンテーブルを担当。1999年加入。正規メンバーとなる前からPVやライブで演奏に参加していた。近年ではパーカッションも担当している。
HIROKI 本名:杉山弘樹。1966年生-エレキギターを担当。2003年加入。Dt.、Stroboでも活動している。
DRI-V 本名:千葉(名は不明)- ブレイクダンスを担当。2003年加入。
ATSUSHI 本名:高橋アツシ- ブレイクダンスを担当。2003年加入。陸上競技・400mハードルの為末大にヒップホップダンスを教えている。

[編集] ディスコグラフィー

[編集] シングル
Category:Dragon Ashの楽曲も参照のこと。

Rainy Day And Day(1997年10月22日)
陽はまたのぼりくりかえす(1998年5月21日)
Under Age's Song(1998年7月23日)
Let yourself go, Let myself go(1999年3月3日)
Grateful Days(1999年5月1日)
I LOVE HIP HOP(1999年5月1日)
Deep Impact(2000年3月15日)
Summer Tribe(2000年7月12日)
Lily's e.p.(2000年11月29日)
Life goes on(2002年1月23日)
FANTASISTA(2002年3月6日)
morrow(2003年6月25日)
Shade(2004年7月14日)
crush the window(2005年6月1日)
夕凪Union(2005年7月13日)
Ivory(2006年7月19日)
few lights till night(2006年9月27日)
夢で逢えたら(2006年12月6日)
Velvet Touch(2008年6月18日)
繋がりSUNSET(2008年12月3日)

[編集] ミニアルバム
The day dragged on(1997年2月21日)
Public Garden(1997年4月21日)

[編集] アルバム
Mustang!(1997年11月21日)
Buzz Songs(1998年9月2日)
Viva La Revolution(1999年7月23日)
LILY OF DA VALLEY(2001年3月14日)
HARVEST(2003年7月23日)
Río de Emoción(2005年9月7日)
INDEPENDIENTE(2007年2月21日)

[編集] ベストアルバム
The Best of Dragon Ash with Changes Vol.1(2007年9月5日)
The Best of Dragon Ash with Changes Vol.2(2007年9月5日)

[編集] リミックスアルバム
HARVEST REMIXES(2004年3月24日)

[編集] アナログ盤
『Free Your Mind #33』 1998年12月19日発売。
『Deep Impact feat. Rappagariya』 2000年3月15日発売。
『Summer Tribe』 2000年7月12日発売。
『EPISODE 2』 2000年8月23日発売。
『静かな日々の階段を』 2000年11月29日発売。
『Amploud』 2000年11月29日発売。
『HARVEST REMIXIES』 2004年4月7日発売。

[編集] VHS
『Buzz Clips』 1999年10月21日発売。
『LILY DA VIDEO』 2001年4月18日発売。
『POSSE IN VIDEO』 2003年12月24日発売。

[編集] DVD
『Buzz Clips DVD』 2001年4月18日発売。
『LILY DA VIDEO』 2001年4月18日発売。
『POSSE IN VIDEO』 2003年12月24日発売。
『Video de Emoción』 2005年12月21日発売。
『The Best of Dragon Ash with Changes DVD』 2007年9月26日発売。

[編集] 未発表曲
『come to light』
『Can't stop shinin'』
『運命共同体』

2008年11月25日 (火)

Coldplay

コールドプレイ(Coldplay)はイギリスのロックバンド。

大衆性を強く持つ楽曲が多く、現在の音楽シーンにおいて最も大きな商業的成功を得ているバンドである。

1997年にロンドンで結成される。メンバーは、クリス・マーティン(ボーカル・ギター・ピアノ)、ジョニー・バックランド(ギター)、ガイ・ベリーマン(ベース)、ウィル・チャンピオン(ドラム)から構成される。2000年、デビュー・アルバム『パラシューツ』とシングル『Yellow』の大ヒットにより世界的な成功を得た。現在までに総計3300万枚以上のアルバムを売り上げ、2000年代における最も成功したバンドのひとつである。『パラシューツ』は全世界で約950万枚、2ndアルバム『静寂の世界』は約1400万枚、3rdアルバムとなる『X&Y』は約1000万枚のセールスを記録した。ブライアン・イーノをプロデューサーに迎えた4枚目となるスタジオ・アルバム、『美しき生命』は2008年6月にリリースされ、大々的なセールスと多くのリスナーによる高評価[要出典]を得た。「イエロー」、「スピード・オブ・サウンド」や2003年にグラミー賞「最優秀レコード賞」を受賞した「クロックス」、さらに最新シングル「美しき生命」といった数多くのヒット曲があることで知られる。

コールドプレイの楽曲はさまざまなアーティストの影響を受けている。ギターとファルセットボーカル中心の曲が多いことから、特にレディオヘッドとトラヴィスのフォロワーと揶揄されることが多く(本人も影響を受けたとハッキリと認めている)、U2からも強い影響を受けているとされている。『パラシューツ』以降は他方面からの影響を得たとされ、『静寂の世界』ではエコー&ザ・バニーメンやジョージ・ハリスン、『X&Y』ではジョニー・キャッシュからの影響やクラフトワークを参考にした作風も色濃い。

コールドプレイはフェアトレードやアムネスティ・インターナショナルなどの社会的・政治的運動を活発に支持している。さらにバンド・エイドやLIVE 8などの慈善コンサートにおいても公演を行っている。

クリス・マーティン (Chris Martin、1977年3月2日 - ) / ボーカル・ギター・ピアノ
イングランド南西部のデヴォン州に生まれる。音楽活動以外にも、発展途上国から先進国に対する輸出を中心とした公正な商品の取引を推進しようとするフェアトレードに参加している。また、グラミー賞の授賞式ではジョージ・ウォーカー・ブッシュとイラク戦争を批判し、民主党の大統領候補だったジョン・ケリーを支持した。私生活においては、アメリカの女優グウィネス・パルトローと2003年12月に結婚し、一男一女をもうけている。
ジョニー・バックランド (Jonny Buckland、1977年9月11日 - ) / ギター
ロンドン生まれ、兄の影響で音楽を始める。ボーカルのクリスをして「ジョニー・バックランドなくしてコールドプレイの音楽は存在しない」と言わしめる存在。ジミ・ヘンドリックスらに影響を受けているとされている。映画『ショーン・オブ・ザ・デッド』にはクリスとともにカメオ出演をしている。
ガイ・ベリーマン (Guy Berryman、1978年4月12日 - ) / ベース
スコットランド生まれ。16歳のときからベースを始める。大学に入ると初めは工学を専攻したが建築学に専攻を変更した。しかしそれにドロップアウトしコールドプレイの活動に集中した。ジェームス・ブラウンやビートルズ、ピンク・フロイドに影響を受けているとされている。
ウィル・チャンピオン (Will Champion、1978年7月31日 - ) / ドラムス
イングランド南部のハンプシャー生まれ。若いころはトム・ウェイツに影響を受け、ギター・ピアノ・ベースといった楽器に触れていたが、ドラムはコールドプレイに加入するまで経験していなかった。コールドプレイ加入前は「Fat Hamster(ファット・ハムスター)」というバンドで活躍していた。クリス曰く「人間ジュークボックス」。

1996年9月、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの学生だったクリスとジョニーが学年最初の週に学生寮のRamsay Hallで知り合い、その後一年間彼らはバンド結成の計画を練った。中にはイン・シンクに影響を受けたPectoralzと呼ばれるボーイズ・バンドを考案していたこともある。実際には、バンドの方向性が決まらぬうちに二人のクラスメイトであるガイが仲間に加わった。1997年までバンドはプロモーター向けのロンドンの小さなギグを「Starfish(スターフィッシュ)」というバンド名で続けていたが、この時までには初期のボーイズ・バンド結成への熱望は絶えていた。そしてクリスはオックスフォード大学でクラシック音楽を専攻していた、旧友であるフィル・ハーヴェイにバンド・マネージャーになるよう依頼した。フィルはバンドの2ndアルバムのリリースまでマネージャーを務めた。

1998年初め、ついにパーカッションプレイヤーとしてウィルがバンドに加わり、バンドの枠組みが完成した。多才なウィルはすでにピアノやギター、ベースそしてティン・ホイッスルまでも演奏できたので、経験がなかったにもかかわらずバンドに加わるとドラムに転向しすぐに習得してしまった。そしてこの頃に、同じロンドン大学の学生だった友人から「コールドプレイ」というバンド名をもらい、自らのバンドの名前にした。ちなみに「コールドプレイ」とは、Philip Horkyの詩のタイトルにちなんでいる。また、同じころKeaneのティム・ライス=オクスリーにキーボードプレイヤーとして参加するように頼んでいたが、すでにKeaneのメンバーとして活動していたために断られている。

2008年11月18日 (火)

チャットモンチー

チャットモンチー (chatmonchy) は、徳島県出身の日本のスリーピースガールズロックバンドである。略称は「チャットモ」、「チャット」など。所属レコード会社はキューンレコード。

バンド名に特に意味は無く、結成当時のドラマーがバンド名に「もんちー」を入れたいと言い、それに最も合う言葉が「チャット」だったのでチャットモンチーとなった。

メジャーデビュー以降、元SUPERCARのいしわたり淳治をプロデューサーとして迎えている。メンバー全員が作詞を行う。

結成から2005年まで
2000年 - 橋本が中心となって結成。徳島市を中心に活動開始。当時のメンバー編成はツインボーカル、ツインギター、ベース、ドラムの6人編成。
2002年 - 進路の都合で橋本以外のメンバーが全員脱退。その後、橋本が通っていた高校の同級生だった福岡が卒業直前の3月に加入。
2003年 - 男子ドラマーが加入するが、同年脱退。その後は、橋本と福岡でアコースティックライヴを続ける。
2004年4月 - 徳島で行われたはなはるフェスタのイベントの一つの「はな・はる・バンドコンテスト」で、グランプリを受賞
2004年 - 以前までサポートメンバーで、福岡が通っていた大学のサークルの先輩だった高橋が、4月4日に正式加入する。この頃に現在のメンバーで固定され自主制作盤としてミニアルバム「チャットモンチーになりたい」(現在廃盤)発売。ライブ活動をしながら、手売りで地元を中心に1,500枚ほど売れる。
2005年
8月 - 雑誌「ROCKIN'ON JAPAN」でアマチュアバンドでありながら、「数年に一度いるかいないかの新星登場」というキャッチコピーで紹介される。同誌にて徳島県のアマチュアバンドが取り上げられることは極めて稀である。翌月にはメジャーデビューが同誌で発表され、以降11月にデビューするまで、同誌では彼女達を執拗なまでに取り上げている。
10月15日 - 徳島JITTERBUGにて、チャットモンチー初のワンマンLiveを開催。
11月23日 - SUPERCARのいしわたり淳治プロデュースによるミニアルバム「chatmonchy has come」でキューンレコードからメジャーデビュー。
2006年
3月1日 - 1stシングル「恋の煙」発売。
3月10日より札幌を皮切りに、初めての全国ツアー「smoke on the ご当地'06」を開催。
4月1日 - 新宿LOFTにて、チャットモンチー東京初企画イベント「チャットモンチーの新宿で半熟」を開催。
4月30日 - 徳島県のはなはるフェスタにてメジャーデビュー後初の凱旋野外公演を行う。
6月7日 - 2ndシングル「恋愛スピリッツ」発売。
7月5日 - 1stフルアルバム「耳鳴り」を発売(オリコンチャート初登場10位)。
7月16日 - ASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN FES. 2006に出演。
8月6日 - ROCK IN JAPAN FESTIVALの最終日に出演。2006年より新設されたWING TENTの大トリを務める。MCにて「去年は客として来ていた。」というエピソードを披露している。
9月24日 - スペースシャワーTV主催ライブ「SWEET LOVE SHOWER 2006」に出演。
11月15日 - 3rdシングル「シャングリラ」を発売。オリコン初登場6位と初のトップ10入りを果たす。
2007年
4月18日 - 4thシングル「女子たちに明日はない」を発売。
6月20日 - 5thシングル「とび魚のバタフライ/世界が終わる夜に」を発売。これは彼女らの初の両A面シングルである。
7月~8月 - 地元徳島県で開催のエキサイティング・サマー・イン・ワジキをはじめ、ROCK IN JAPAN FESTIVALやSUMMER SONICなど各地の夏フェスに出演。
9月1日 - スペースシャワーTV主催ライブ「SWEET LOVE SHOWER 2007」に出演。
9月5日 - 6thシングル「橙」を発売。2回目のアニメ主題歌を担当した。また同月に放送される「スカパー!夏フェス祭り」のイメージキャラクターを務める。
10月20日 - ROCKIN'ON JAPAN・2007年11月号の表紙を飾る。女性が同誌の表紙を飾ることは稀にあることだが、女性だけによる編成のバンドが表紙を飾るのは史上初である。
10月16日 - FM802の「FLOWER AFTERNOON」で、番組の為にレコーディングした未発表カバー曲、ビートルズの「IN MY LIFE」を熱唱。
10月24日 - 2ndアルバム「生命力」を発売(オリコンチャート初登場2位)。同時発売された「奥田民生・カバーズ」にて、チャットモンチーとしては初のトリビュート盤への参加で、奥田民生の「息子」(1995年)をカバー。また、同日発売のユニコーンの楽曲をカバーした「ユニコーン・トリビュート」にて、シュノーケルが歌う「おかしな2人」で、コーラスとして橋本絵莉子が参加している。
11月16日~翌年1月29日 - 「チャットモンチー07/08ライヴ『生命力みなぎりTOUR』」を行う。全国18都市、全23箇所を回る。
11月28日 - DVD第一弾「チャットモンチー レストラン 前菜」を発売。
2008年
1月31日 - 母校徳島県立城東高等学校の予餞会にシークレットゲストとして登場。
2月27日 - 7thシングル「ヒラヒラヒラク秘密ノ扉」とDVD第二弾「チャットモンチー レストラン スープ」を同時発売。
3月31日~4月1日 - 初の武道館ワンマンライブ「チャットモンチーのすごい2日間in日本武道館」を開催。
5月15日 - 8thシングル「風吹けば恋」のPV撮影を約1500人のファンを募集して行う。
6月25日 - 8thシングル「風吹けば恋」を発売。
11月5日 - 9thシングル「染まるよ」とDVD第三弾「チャットモンチー レストラン メインディッシュ」を同時発売。

シングル

恋の煙(2006年3月1日)
恋愛スピリッツ(2006年6月7日) 
シャングリラ(2006年11月15日)
女子たちに明日はない(2007年4月18日)
とび魚のバタフライ/世界が終わる夜に(2007年6月20日)
橙(2007年9月5日)
ヒラヒラヒラク秘密ノ扉(2008年2月27日)
風吹けば恋(2008年6月25日)
染まるよ(2008年11月5日)

アルバム
耳鳴り(2006年7月5日)
生命力(2007年10月24日)

ミニアルバム
chatmonchy has come(2005年11月23日)

DVD茨城の求人
チャットモンチー レストラン 前菜(2007年11月28日)
チャットモンチー レストラン スープ(2008年2月27日)
チャットモンチー レストラン メインディッシュ(2008年11月5日)

2008年11月11日 (火)

MANOWAR

マノウォー(MANOWAR)は、アメリカのヘヴィメタルバンドである。 1980年、ブラック・サバスのツアーにパイロテクニクス及びベースの技師として同行していたジョーイ・ディマイオと、ツアーのオープニングアクトを務めていたSHAKIN' STREETのロス・ザ・ボスが意気投合し、翌1981年にエリック・アダムス、ドニー・ヘムズィクを加えて結成された。バンド名の由来は軍艦を意味する"Man of War"から。 真のヘヴィメタルを標榜する彼らは「偽メタルに死を」(Death to False Metal)を合言葉に掲げ、1982年に『バトル・ヒムズ』でデビュー。力強くドラマティックな楽曲にエリック・アダムスのシャウト、ジョーイ・ディマイオの"光速"ベースが特徴。 彼らのライヴは大音量で知られ、「世界一うるさいバンド」のギネスブック記録も保持している。 右手首を左手で掴んだまま頭上に掲げるポーズは「マノウォー・サイン」と呼ばれており、彼ら自身やファンの間だけではなく、他のバンド、ミュージシャンもライヴなどでポーズをとる事がある。

現メンバー
Vocal:エリック・アダムス(Eric Adams)(1981~)
Guitar:カール・ローガン(Karl Logan)(1994~)
Bass:ジョーイ・ディマイオ(Joey DeMaio)(1980~)
Drum:スコット・コロンバス(Scott Columbus)(1983~1990, 1996~)
旧メンバー
Guitar:ロス・ザ・ボス(Ross "The Boss" Friedmann/Funicello)(1980~1988)
脱退後は、リムジンの運転手に就き、その後DICTATORSを再結成する。
Guitar:デイヴィッド・シャンケル(David Shankle)(1989~1993)
脱退後は、クラシックギターの講師に就き、その後『DAVID SHANKLE GROUP(DSG)』を結成。2003年にアルバム『ASHES TO ASHES』を発表。
Drum:ドニー・ヘムズィク(Donnie Hamzik)(1981~1982)
Drum:ライノ(Kenny "Rhino" Earl Edwards)(1992~1995)
ライオットのツアーメンバーとして2001年~2003年頃まで参加。

バトル・ヒムズ (邦題:地獄の鎮魂歌)-Battle Hymns (1982年、TOCP-8441、国内廃盤)
1stアルバム。ライヴでは必ず最初に演奏される「マノウォー」、名曲「バトル・ヒムズ」を収録。
「Death Tone」、「Fast Taker」のようなロックンロール色の濃い曲も収録されており、バンドの持つ音楽的イメージがまだ確立されていなかった。
イントゥ・グローリー・ライド(邦題:地獄の復讐) -Into Glory Ride (1983年、MVCG-141、VICP-60280、国内廃盤)
2ndアルバム。メガフォース・レコードへ移籍し、ドラマーもドニー・ヘムズィクからスコット・コロンバスに交代。中世の騎士のイメージを確立し、代表曲「March For Revenge」等を収録。
ヘイル・トゥ・イングランド -Hail To England (1984年、MVCG-142、VICP-60281、国内廃盤)
3rdアルバム。ヨーロッパでのバンドの知名度を飛躍的に上げた名作。「Blood Of My Enemies」、「Kill With Power」等の名曲を多数収録。
サインズ・オブ・ハンマー -Sign Of The Hammer (1984年、VJCP-23238、国内廃盤)
4thアルバム。10レコーズに移籍。シングルカットされた「All Men Play On 10」や「Sign Of The Hammer」、「Thor(The Powerhead)」、「Animals」、「Guyana(Cult Of The Damned)」等名曲、佳曲揃いで最高傑作と捉えるファンも多い名盤。
ファイティング・ザ・ワールド -Fighting The World (1987年、AMCY-3122、国内廃盤)
アトランティック・レコードに移籍し発表された5thアルバム。「Fighting The World」、「Defender」、「Black Wind,Fire And Steel」、ポップではあるが佳曲の「Carry On」等、バラエティに富んだ楽曲が特徴。本作より、KISSのジャケットを手がけたことのあるケン・ケリーがアートワークを担当しており、屈強な戦士のイメージをより広く浸透させた。
キングス・オブ・メタル -Kings Of Metal (1988年、22P2-2788、AMCY-702、AMCY-3124、国内廃盤)
6thアルバム。「Wheels Of Fire」、「The Crown And The Ring(Lament Of The Kings)」、「Hail And Kill」など荘厳で勇壮なイメージの楽曲が並ぶ。
勝利の鋼鉄 -Triumph Of Steel (1992年、AMCY-474、AMCY-3123、国内廃盤)
ギタリストがロス・ザ・ボスからデヴィッド・シャンクル、ドラマーがスコットからライノに交代して発表された7thアルバム。20分強の大作「Achilles,Agony And Ecstacy In Eight Parts」、「Metal Warrior」、「Ride The Dragon」、「The Power Of Thy Sword」などライヴでの定番曲が並んでいる。
翌1993年に初の来日公演を行った。
ラウダー・ザン・ヘル -Louder Than Hell (1996年、MVCG-191)
8thアルバム。ゲフィン・レコードに移籍し、ギタリストがカール・ローガンに交代。ドラムにスコットが復帰。
「Return Of The Warlord」、「Outlaw」、「Power」等が評価を高める。
ウォーリアーズ・オブ・ザ・ワールド -Warriors Of The World (2002年、ZACB-1058)
ニュークリア・ブラストに移籍しての9thアルバム。「Call To Arms」「Warriors Of The World United」、「Hand Of Doom」「Fight Until We Die」等の佳曲が収録されている。
ゴッズ・オブ・ウォー -Gods Of War (2007年、 MICP-10652)
10thアルバム。バンド初のコンセプト・アルバムである。

2008年10月28日 (火)

Queens of the Stone Age

クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ( Queens of the Stone Age略称はQOTSAまたはQueens)は、カイアス(Kyuss)のギタリスト、ジョッシュ・オムを中心に1997年にアメリカ合衆国カルフォルニア州パームデザートで結成されたハードロックバンド。

バンド名は「石器時代のおかま」という意味であり、音楽プロデューサーのクリス・ゴスによる命名。

ストーナーロックを確立したカイアスのメンバー・スタッフが結成当初に多く関わっているため、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジの曲もストーナーロックと表現されることが多いが、ジョッシュを始めとしたメンバーはドラッグ中毒を連想させるこの表現を嫌っている。

アルバムやツアーのたびにメンバーの入れ替わりがあり、結成時からのメンバーはジョッシュ・オムのみである。

出身地  アメリカ合衆国 カリフォルニア州パームデザート
ジャンル ハードロック
オルタナティブ・ロック
ストーナーロック
活動期間 1997年 -
レーベル ユニバーサルミュージック
公式サイト [1]
メンバー
ジョッシュ・オム
トロイ・ヴァン・リューウェン
ジョーイ・カステロ
ディーン・フェルティタ
マイケル・シューマン

ディスコグラフィー

アルバム
クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ - Queens of the Stone Age (1998) 
R指定 - Rated R (2000) 
ソングス・フォー・ザ・デフ - Songs for the Deaf (2002) 
ララバイズ・トゥ・パラライズ - Lullabies to Paralyze (2005) 
エラ・ヴルガリス - Era Vulgaris (2007)

2008年10月14日 (火)

Coldplay

1997年にロンドンで結成される。メンバーは、クリス・マーティン(ボーカル・ギター・ピアノ)、ジョニー・バックランド(ギター)、ガイ・ベリーマン(ベース)、ウィル・チャンピオン(ドラム)から構成される。2000年、デビュー・アルバム『パラシューツ』とシングル『Yellow』の大ヒットにより世界的な成功を得た。現在までに総計3300万枚以上のアルバムを売り上げ、2000年代における最も成功したバンドのひとつである。『パラシューツ』は全世界で約950万枚、2ndアルバム『静寂の世界』は約1400万枚、3rdアルバムとなる『X&Y』は約1000万枚のセールスを記録した。ブライアン・イーノをプロデューサーに迎えた4枚目となるスタジオ・アルバム、『美しき生命』は2008年6月にリリースされ、大々的なセールスと多くのリスナーによる高評価を得た。「イエロー」、「スピード・オブ・サウンド」や2003年にグラミー賞「最優秀レコード賞」を受賞した「クロックス」、さらに最新シングル「美しき生命」といった数多くのヒット曲があることで知られる。

コールドプレイの楽曲はさまざまなアーティストの影響を受けている。ギターとファルセットボーカル中心の曲が多いことから、特にレディオヘッドのフォロワーと揶揄されることが多く(本人も影響を受けたとハッキリと認めている)、U2にも影響を受けているとされている。『パラシューツ』以降は他方面からの影響を得たとされ、『静寂の世界』ではエコー&ザ・バニーメンやジョージ・ハリスン、『X&Y』ではジョニー・キャッシュやクラフトワークにも影響を受けているとされる。

コールドプレイはフェアトレードやアムネスティ・インターナショナルなどの社会的・政治的運動を活発に支持している。さらにバンド・エイドやLIVE 8などの慈善コンサートにおいても公演を行っている。

身地  イングランド ロンドン
ジャンル ロック
オルタナティブ・ロック
ピアノ・ロック
活動期間 1997 – 現在
レーベル EMI(ラテンアメリカ/アジア)
パーロフォン(ヨーロッパ/カナダ)
キャピトル・レコード(アメリカ合衆国/オーストラリア)
公式サイト coldplay.com
メンバー

クリス・マーティン (Chris Martin、1977年3月2日 - ) / ボーカル・ギター・ピアノ
イングランド南西部のデヴォン州に生まれる。音楽活動以外にも、発展途上国から先進国に対する輸出を中心とした公正な商品の取引を推進しようとするフェアトレードに参加している。また、グラミー賞の授賞式ではジョージ・ウォーカー・ブッシュとイラク戦争を批判し、民主党の大統領候補だったジョン・ケリーを支持した。私生活においては、アメリカの女優グウィネス・パルトローと2003年12月に結婚し、一男一女をもうけている。
ジョニー・バックランド (Jonny Buckland、1977年9月11日 - ) / ギター
ロンドン生まれ、兄の影響で音楽を始める。ボーカルのクリスをして「ジョニー・バックランドなくしてコールドプレイの音楽は存在しない」と言わしめる存在。ジミ・ヘンドリックスらに影響を受けているとされている。映画『ショーン・オブ・ザ・デッド』にはクリスとともにカメオ出演をしている。
ガイ・ベリーマン (Guy Berryman、1978年4月12日 - ) / ベース
スコットランド生まれ。16歳のときからベースを始める。大学に入ると初めは工学を専攻したが建築学に専攻を変更した。しかしそれにドロップアウトしコールドプレイの活動に集中した。ジェームス・ブラウンやビートルズ、ピンク・フロイドに影響を受けているとされている。
ウィル・チャンピオン (Will Champion、1978年7月31日 - ) / ドラムス
イングランド南部のハンプシャー生まれ。若いころはトム・ウェイツに影響を受け、ギター・ピアノ・ベースといった楽器に触れていたが、ドラムはコールドプレイに加入するまで経験していなかった。コールドプレイ加入前は「Fat Hamster(ファット・ハムスター)」というバンドで活躍していた。クリス曰く「人間ジュークボックス」。

2008年10月10日 (金)

X JAPAN

X JAPAN(エックス・ジャパン)は日本のロックバンド。1989年にX(エックス)としてメジャーデビュー。その後1992年に現在のX JAPANに改名。1997年解散。2007年再結成。通称はX。

1982年、千葉県館山市で当時高校生だったYOSHIKIとTOSHIを中心に結成。アメリカのバンド「キッス」に影響を受けた派手なルックスで日本では後に「ヴィジュアル系」といわれるロックの先駆者的存在とされ、後続のバンドに大きな影響を与えた。また、小泉純一郎元総理がファンの一人として知られている。

YOSHIKI(ヨシキ、年齢非公表)ドラムス & ピアノ & コーラス [1982-1997/09/22, 2007/10/22-]
(ex.DYNAMITE⇒ノイズ⇒エックス⇒X JAPAN)

TOSHI(トシ、1965年10月10日 -)ボーカル [1982-1997/04/20, 2007/10/22-]
(ex.DYNAMITE(ギター)⇒ノイズ⇒エックス⇒X JAPAN)

HIDE(ヒデ、1964年12月13日 - 1998年5月2日)ギター & コーラス [1987-1997/09/22]
(ex.サーベルタイガー⇒エックス⇒X JAPAN)

PATA(パタ、1965年11月4日 - ) ギター [1987-1997/09/22, 2007/10/22-]
(ex.ブラックローズ⇒ジュディ⇒エックス⇒X JAPAN)

HEATH(ヒース、1968年1月22日 -)ベース [1992-1997/09/22, 2007/10/22-]
(ex.パラノイア⇒カオスモード⇒ビート・スィート(ボーカル)⇒スィート・デス⇒メディア・ユース⇒マジスティック・イザベル⇒X JAPAN)

主な旧メンバー
TAIJI(タイジ、1966年7月12日 -)ベース & コーラス [1985, 1986-1992/01/07]
(ex.トラッシュ(ギター)⇒ディメンシア(Ray)⇒ブローラー⇒エックス⇒ファティマ⇒デッド・ワイヤー⇒エックス)

TERRY(テリー)(YUJI(ユウジ))ギター [1982-1985]:YOSHIKIとTOSHIの高校の同級生。2002年に交通事故により死去。
TOMO(トモ)ギター [1984-1985]
ATSUSHI(アツシ)(TOKUO(トクオウ))ベース [1985]:YOSHIKIとTOSHIの高校の先輩。
EDDIE(エディー)ギター [1985]:現RITUAL CARNAGE
HALLY(ハリー)ギター [1985]:元DIMENTIA、現United。TAIJIが最初に加入した時に連れてきたギタリスト。
JUN(ジュン)(SHU(シュウ))ギター [1985,1986]
ZEN(ゼン)ギター [1985-1986]
HIKARU(ヒカル)ベース [1985-1986]:現MEPHISTOPHELES
KERRY(ケリー)ギター [1986]
SATORU(サトル)ギター [1986]
ISAO(イサオ)ギター [1987]:バイク事故により脱退。後に臨時ギタリストであったPATAが正式加入。

大魔神五人組
大魔神五人組(だいまじんごにんぐみ)とはXだったころに、主にファンサービスとして行われていたXのパートチェンジバンドである。

Vocal:HIDE
Guitar:YOSHIKI
Guitar:TAIJI
Bass:PATA
Drums:TOSHI

バンド名の由来
Xというバンド名は、Xという字が本来持っている「無限の可能性」という意味がこめられている。結成当初は、「正式なバンド名が決まるまでの仮の名前」であって、「1文字だとコンテストのパンフレットで目立つから」という、軽い気持ちであった。 その後、世界進出にあたりアメリカに同名のバンドが存在することが分かり、1992年8月のHEATH加入発表と共にX JAPANに改名した。

2008年10月 1日 (水)

Oasis

オアシス (Oasis) は、イングランド・マンチェスター出身のロックバンド。1991年結成。

ブリットポップ・ムーヴメントの代表格であり、英国を代表するロックバンド。ブリットポップ・ムーヴメント後も人気が高い。

バンドの核となるギャラガー兄弟は、同じくアイルランド系英国人・労働者階級出身であるビートルズを大変敬愛しており、ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」や「ヘルター・スケルター」などを時折演奏したり、ファッションや、自身の曲においてもその影響を見る事が出来る。

また、ドラッグや暴力沙汰などのロックではおなじみのスキャンダルとともに、彼らの発言もまたスキャンダラスなものが多い。

リアム・ギャラガー(Liam Gallagher, 1972年9月21日 - )メインヴォーカル、タンバリン、ギター。
デビュー当時はジョニー・ロットンとジョン・レノンを足して割った声と評される。オアシスの初期メンバーの一人。ジョン・レノンを敬愛している。
ノエル・ギャラガー(Noel Gallagher, 1967年5月29日 - )ギター、ベース[1]、ヴォーカル。
バンドの主要な作曲家・作詞家。6歳の頃にギターに触れ始め、16歳で本格的にギターを弾き始める。リアムに代わってメインヴォーカルを務める事も少なくない。リアムの実兄。
ゲム・アーチャー(Gem Archer, 1966年12月7日 - )ギター、ベース[1]、キーボード、ハーモニカ。
元ヘヴィ・ステレオのフロントマン兼ギタリスト。「ゲム」の名称はもともとスコットランドのサッカー選手の名前からきている。
アンディ・ベル(Andy Bell, 1970年8月11日 - )ベース、ギター[1]、キーボード。
元々、ライド、ハリケーン#1などのバンドでフロントマンやギタリストとして活動。オアシス加入以前までは、ベースを触ったことも無かったとされるが、オアシスではベースを担当している。
クリス・シャーロック(Chris Sharrock, 1964年 - )ドラムス。
ロビー・ウィリアムズのバックバンドでドラマーをしていた。ザック・スターキーの跡を継ぎオアシスのドラマーとなった。

初期はノエルが作曲した曲ばかりであったが、現在はリアム、ゲム、アンディら作曲の作品もアルバムに収められることが多い。

2008年9月27日 (土)

THE YELLOW MONKEY

THE YELLOW MONKEY(ザ・イエローモンキー)は、日本のロックバンド。愛称・略称はイエモン。

1988年に結成、2001年1月より活動を停止し、2004年7月7日をもって解散した。かつての公式ファンクラブは「Petticoat Lane」であった。

なお「イエローモンキー」とは、主に西洋圏で使用される東洋人に対する蔑称である。この名前は、ダサくてシニカルな名前にしたいと考えていた吉井によって命名された。

吉井和哉(よしい かずや、1966年10月8日 - )
ボーカル担当。愛称・ロビン(LOVIN)。東京都北区出身。静岡県育ち。解散後はYOSHII LOVINSONとしてソロ活動。2006年からは再び吉井和哉名義に戻して活動している。 
菊地英昭(きくち ひであき、1964年12月7日 - )
ギター担当。愛称・エマ(EMMA)。東京都八王子市出身、日本大学文理学部応用地学科卒業。解散後はスタジオ・ミュージシャンとして活動。YOSHII LOVINSONの2ndアルバム『WHITE ROOM』にギタリストとして参加した。そのアルバムでは何故かEMMARSONに。(『WHITE ROOM』のクレジットに記載)また、現在は吉井和哉のライブや吉川晃司のライブ(2007年4月 - 7月)のサポートメンバーとして活動している。
廣瀬洋一(ひろせ よういち、1963年4月19日 - )
ベース担当。愛称・ヒーセ(HEESEY)。東京都足立区出身、日本大学経済学部中退。解散後はHEESEY WITH DUDESでボーカル、ベーシストとして活動。HEESEY WITH DUDESも解散を発表。2005年12月のライヴがラストライヴとなる。解散後は2005年11月発売の森重樹一(ZIGGY)のソロアルバム『CHRONIC LAY ABOUT』にベーシストとして参加、同時に森重樹一のソロツアーに参加している。
菊地英二(きくち えいじ、1967年6月6日 - )
ドラム担当。愛称・アニー(ANNIE)。東京都八王子市出身、桐朋高校、中央大学理工学部精密機械工学科卒業。菊地英昭の実弟。解散後は河村隆一、吉川晃司、Tamaなどのライブサポートメンバーとして活躍。またレナード衛藤とのライブセッションなども行っている。

バンド初期はデヴィッド・ボウイ、ミック・ロンソン、T.Rexなどを彷彿とさせるグラムロック色が強く、化粧をしたり吉井がライブで女装するなど服装も過激でヴィジュアル系のようなルックスだった。中期はUK・USの王道ロックを思わせるサウンドに。ファンハウス移籍後は独自のロックを追及していき、後期には朝本浩文、森俊之、笹路正徳などの外部プロデューサーを導入するなど新しい試みも見られた。
バンドの誕生日とも言える12月28日には、『メカラウロコ』と言う「昔のTHE YELLOW MONKEYに戻る」と言う趣旨の元、初期の楽曲をメインにしたライブを1996年 - 1999年(1997年を除く)にわたり3度行った。また、これらとは別に2001年の活動休止ライブと2004年の解散イベントも『メカラウロコ』と銘打たれたている。
1998年から1999年にかけて113本にも及ぶ『パンチドランカーツアー』を行う。ツアー前半終了の岡山市市民会館で吉井が「このツアーは失敗でした。」と発言するなどメンバーにとっては精神的、体力的にもハードなツアーとなった。
NHK-FMの『ミュージックスクエア』において、「JAM」が1990年代を代表する曲第1位に選ばれるなど、同番組で非常に人気の高いバンドの1つだった。
「JAM」のプロモーションビデオは吉井自らの監督で撮影された。次のシングル「SPARK」以降は「パール」と「プライマル。」を除く13曲のシングルで高橋栄樹が監督を務めた。高橋は、プロモーションビデオとしては異例ともいえる時間的余裕と自由な表現を許容され、プロモーションビデオだけでなく映像作品「BLUE FILM」、ライブビデオ「RED TAPE」などで独自の世界観を持った巧みな映像表現を製作し、吉井から「イエローモンキーの第5のメンバー」と言わしめた。高橋は「LOVE LOVE SHOW」「BURN」を監督した1997年に「SPACE SHOWER Music Video Awards」ベストディレクター賞を受賞している。
バンド解散の際、ごく一般的な「不仲」での解散を報道されることに、メンバー全員が嫌悪感を持った。吉井は「疲れもあるけど、メンバーがどうこうなんて言えない。バンドを解散させるのは辛いし、メンバーは最高だから、別れるのは寂しいし、心細いんだけど、とにかく解散は僕の我儘で、僕の責任」と語った。逆に、他のメンバーからは「吉井を追い込ませて、感情を吐き出させてやれなかった」「もっと力になってやりたかった」など、互いを擁護する発言が目立った。

2008年9月20日 (土)

BRAHMAN

BRAHMAN(ブラフマン)は、日本のロックバンドである。トイズファクトリー所属。
TOSHI-LOW (ボーカル)
本名:宮田俊郎
茨城県水戸市出身。1974年11月9日生まれ。B型。
KOHKI (ギター)
本名:堀幸起
和歌山県出身。1975年7月13日生まれ。O型。
MAKOTO (ベース)
本名:小沢誠
長野県松本市出身。1974年4月10日生まれ。O型。
RONZI (ドラムス)
本名:小林諭史
長野県松本市出身。1974年7月4日生まれ。A型。
mark muffin のドラマーとしても活動中

都内を中心に活動を行い、これまでに2枚のミニアルバム、3枚のシングル、4枚のアルバムを発表、国内外を問わず精力的にライブ活動を行っている。音楽性に関しては、ロック、パンク、ハードコアといったジャンル分けが困難であると評されることが多く、ハードコアや民族音楽を基盤とした独自の音楽性を確立している。

TOSHI-LOWとDAISUKEが当時所属していたバンド「killed by myself」と、RONZIとMAKOTOが属していたバンドがそれぞれ同時期に解散した後、音楽の方向性について意気投合したメンバーにより1995年に東京で結成された。結成時のメンバーにMAKOTOは含まれておらず、TOSHI-LOWと同じ大学に在籍していた別のベース担当が属していた。なお、バンド名のBRAHMANはこのベース担当により名付けられた。東洋的なコンセプトのもと挙がったバンド名候補の一つに「ARTMAN」もあったが、京王アートマン(巨大雑貨店)の存在もあり「BRAHMAN」となった[要出典]。ベース脱退後、RONZIと同郷であるMAKOTOが加入した。
1996年、ミニアルバム「Grope Our Way」でCDデビュー。その後ギター担当のDAISUKEが脱退。
1997年、ミニアルバム「Wait And Wait」発売。レコ発が完売となった。この時、TOSHI-LOWがギター&ボーカルをつとめていた。TOSHI-LOWがギターを持ち歌う姿はDVD/VIDEO「CRAVING」の一部楽曲において確認することができる。この後、ギターのKOHKIが加入し、現メンバーの4人となった。
1998年、アルバム「A MAN OF THE WORLD」発売。収録曲の1/3ほどは初期からの曲。
1999年、TOY'S FACTORYと契約を交わし、シングル「deep/arrival time」にてメジャーデビュー。オリコン初登場6位、累積売上20万枚以上。自分たちの手で売るのがきつくなり、いいものを作ることだけに集中したかったことがメジャー移行の理由の一つ[要出典]。レコード発売に伴う大規模なツアーに加え、TIBETAN FREEDOM CONCERT、FUJI ROCK FESTIVAL '99に出演。
2000年、AiR JAM 2000に出演。ライブVIDEO「CRAVING」をリリース(のちにDVDでもリリース)。
2001年、2ndアルバム「A FORLORN HOPE」発売。オリコン初登場2位。累積売上50万枚以上。FUJI ROCK FESTIVAL '01に出演。アルバム発売に伴い、50公演以上に及ぶ大規模なツアーを行った。
2002年、前年に引き続き国内ツアーを継続。海外においてもイタリアおよび台湾においてツアーを行った。また、FUJI ROCK FESTIVAL '02に出演。
2003年4月、TOSHI-LOWが女優りょうと結婚。「-Hands and Feet-」と題された国内ツアーを敢行(同名のツアーは2006年、2007年にも行われる)。中国北京で開催された「MIDI 2003 Modern Music Festival」において、ライブ中に観衆から罵声を浴び、石や生卵、ペットボトルなどが投げ込まれメンバー全員が軽い擦り傷を負った事実が一部メディアにより報道された。これらの観衆の行為は、BRAHMANのパフォーマンスに対するものではなく、広東省での日本人による「集団買春」事件が明るみに出た直後の、反日機運の高まりによるものであったとされる[要出典]。このときのライブ映像は一部、後述のライブDVD「THEORIA」に収録されており、観衆の投げた生卵がTOSHI-LOWに直撃する様子などが確認できる。
2004年、3rdアルバム「THE MIDDLE WAY」発売。オリコン初登場3位。リリースに伴い国内50公演以上のツアー「THE MIDDLE THOUGHT TOUR」を行った。
2005年、2ndシングル「CAUSATION」発売。オリコン初登場10位。6月頃、バイオリニスト・ギタリストとして活動していたMARTIN(ボーカル・ギター・バイオリン)とTOSHI-LOWがあるライブで出会った。「何か新しいことをしたい」とMARTINがTOSHI-LOWにもちかけ、BRAHMANのメンバー4人にさらにMARINの友人でスタジオミュージシャンのKAKUEI(パーカッション)を加えて6人編成のOVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDを結成。オムニバスアルバム「The Basement Tacks-10YEARS SOUNDTRACK OF 7STARS」「ROCK THE ULTRAMAN」に参加した後、2006年にアルバム「OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND」を発表した。
2006年、ライブDVD「THEORIA」発売。DVD RANKING 初登場4位。
2007年、4月4日3rdシングル「Handan's pillow/逆光」を発売。シングルはDVDとの2枚組であり、「LIVE DVD-Tour energeia final@ZEPP TOKYO」が同梱されている。
2008年、2月6日4thアルバム「ANTINOMY」を発売。オリコン初登場4位。初回限定版として「By-End(1.ART MAN 2.RESULT OF NEXT)※再録」が特典としてつけられた。アルバム自体は、「THE MIDDLE WAY」発売後のシングルとして発売された「CAUSATION 「FIB'S IN THE HAND」「Handan's pillow」「逆光」も収録されているが、全て再録であり、「Handan's pillow」 「FIB'S IN THE HAND」はシングルとは全く別物となっている。初の試みとしてアイヌ語詞による楽曲「Kamuy-Pirma」を収録。アルバムリリースに伴い国内40公演以上のツアー「AUTONOMY」を行う予定。

2008年9月16日 (火)

Slipknot

スリップノット (Slipknot) はアメリカ合衆国アイオワ州デモイン出身の9人組バンド。バンド名直訳は、『引き結び(一方を引くとすぐ解ける結び方)』。ロックだけに留まらないあらゆるスタイルを融合させたヘヴィーミュージックを得意とする。

2000年にリリースされた1stアルバム『スリップノット - SLIPKNOT - 』は、この系統のジャンルの中では記録的ともいえるセールスを樹立、デビューと同時に本国アメリカのみならず、日本においても爆発的な人気を獲得。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、コーン、リンプ・ビズキット、マリリン・マンソンらに並ぶビッグネームにのし上がった。

日本では最大の敬意と特徴を表して、“猟奇趣味的激烈音楽集団”というキャッチコピーが付けられている。

2ndアルバム『アイオワ - IOWA - 』発表の辺りからメンバー間の軋轢が表面化し、一時期は解散の噂も立ち起こっていた。

しかし、3rdアルバム『VOL.3:(ザ・サブリミナル・ヴァーシズ) - VOL.3: (THE SUBLIMINAL VERSES) - 』発表の際には以前見られたような不協和は解消されている。現在は一時的に活動を停止、各々のサイドプロジェクトなどに勤しんでいたが、2008年8月11日に、活動再開後初となる新アルバムを発売した。(日本での発売は8月20日)

2008年のラウドパークへの出演が決定している。

シド・ウィルソン (ターンテーブル)
ジョーイ・ジョーディソン (ドラムス)
ポール・グレイ (ベース)
クリス・フェーン (パーカッション、ボーカル)
ジェイムズ・ルート (ギター)
クレイグ・ジョーンズ (サンプラー)
ショーン・クラハン (パーカッション)
ミック・トムソン (ギター)
コリィ・テイラー (ボーカル)

[編集] ディスコグラフィー

[編集] アルバム
No. タイトル(日本語) タイトル(英語) 発売日 備考
インディーズ時代  MATE.FEED.KILL.REPEAT.  現在、入手困難だがブートで入手は可能
一部の曲はアレンジされ、既存アルバムに収録してある
01 スリップノット SLIPKNOT 2000年 
02 アイオワ IOWA 2001年 
03 VOL.3:(ザ・サブリミナル・ヴァーシズ) VOL.3: (THE SUBLIMINAL VERSES) 2004年 
04 9.0: LIVE(ライブ) 9.0: LIVE 2005年 ライブアルバム
05 オール・ホープ・イズ・ゴーン ALL HOPE IS GONE 2008年

[編集] DVD
No. タイトル(日本語) タイトル(英語) 発売日 備考
01 ディザスターピーシズ DISASTERPIECES 2002年 
02 ウェルカム・トゥ・アワ・ネイバーフッド WELCOME TO OUR NEIGHBORHOOD 2003年 
03 ヴォリーミナル:インサイド・ザ・ナイン VOLIMINAL: INSIDE THE NINE 2006年 

[編集] シングル
No. タイトル 発売日 備考
01 Wait And Bleed 2000年 
02 Spit It Out 2000年 
03 Left Behind 2001年 
04 My Plague 2002年 
05 Duality 2004年 
06 Vermilion 2004年 
07 Psychosocial 2008年

2008年9月 8日 (月)

Hi-STANDARD

Hi-STANDARD(ハイ・スタンダード)は、日本の3人組パンク・ロックバンド。PIZZA OF DEATH RECORDS所属。ハイスタの略称で親しまれている

1991年、難波章浩、横山健、恒岡章を中心に結成。初ライブを高円寺20000Vで、God's Guts、Scamp、bloodthirsty butchers、BEYONDSと行う。1994年ミニ・アルバム『ラスト・オブ・サニーデイ』でデビュー。昨今のインディーズブームの走り、と言われるバンドである。海外ではNOFXのFAT MIKEにプロデュースされたことでも有名。NOFXのツアーにも参加しておりFAT MIKEが立ち上げたレーベル「Fat Wreck Chords」に所属していた。そのほかにも、GREEN DAYやOFFSPRINGなどといった海外の超大物バンドとツアーを回り、成功をおさめている。また、HUSKING BEEやSHERBETなど、メンバーによるバンドプロデュースも行われている。

1997年アルバムANGRY FISTをリリース。オリコン初登場4位を記録。 

1999年、PIZZA OF DEATH RECORDSをトイズファクトリーから独立化し、アルバムMAKING THE ROADをリリース。インディーズとしては異例の日本・海外を含め100万枚以上のセールスを記録。

2000年4月、シングルLove Is A Battlefieldをリリース。オリコン初登場2位を記録。 

2000年8月、千葉マリンスタジアムで行われたロック・フェスティバルイベント『AIR JAM 2000』を最後に活動休止。その後、横山健がPIZZA OF DEATH RECORDS Webページ内の『横山健の別に危なくないコラム vol.19』にて、難波章浩が脱退した事を公表。だが、2004年12月11日にスペースシャワーTVにて放送された、『祝15祭 スペシャプレミアムライブ15連発!Hi-STANDARD LIVE from AIR JAM 2000』のコメントVTRにて難波が復帰。AIR JAM 2000以来4年ぶりに3人が顔を揃えた。

難波章浩はROCKIN'ON JAPANのインタビューで、Hi-STANDARDの活動再開、ソロとしての活動を示唆していたが、2005年8月に「TYÜNK」、「なんばあきひろ&宇宙船地球号」名義で2枚のソロシングルを発表し、2006年にはULTRA BRAiNを結成。

横山健は現在Ken Yokoyamaとしてソロ、BBQ CHICKENSのギターとして活動中。一時期、the 原爆オナニーズのギターとして参加していた(2004年)

恒岡章はS.P.L.としてソロ、CUBISMO GRAFICO FIVEのドラムLOW IQ &THE BEAT BREAKERのドラムとして活動中。

バンドとして「解散」はしていないものの、メンバーそれぞれがソロ活動を精力的に行なっているため、当面は活動再開する予定もない模様。

なお、彼らの楽曲は一部を除いてほとんどカラオケに収録されていない。これは、「カラオケで歌うぐらいなら、友達とバンドを組め」という難波の意向によるものである。

2007年5月、難波のブログ「TYUNBLOG」にてPIZZA OF DEATH RECORDSへの警告文が記載される。「Hi-STANDARDの原盤権を3等分しないなら、『MAKING THE ROAD』は廃盤にすべきだ。これは金の話ではなく、作品にこめた魂の話だ。」という内容であった。難波と恒岡は2008年wombにてライブを行っている。

2008年9月 2日 (火)

GIRL NEXT DOOR

GIRL NEXT DOOR(ガールネクストドア)は、2008年9月にデビュー予定の日本のロック音楽ユニットバンド。エイベックスグループのエイベックス・エンタテインメントに所属。所属レーベルはavex trax。

2008年6月14日[1]にavexが発表したユニットである。avexは、2008年が会社設立20周年の節目にあたるため、その記念にふさわしい大型新人アーティストを必要としていた。「社運を賭けた」ということからもわかるように、同社史上初の「Produced by avex trax」のアーティストである。

2008年7月より着うたを先行配信したり、情報プレゼンター とくダネ!でPVが流れるなど、大々的なプロモーションが行われており、ミュゥモで着うたをダウンロードした場合に限り、a-nationご当地記念限定待受けを入手できる特典が付いている(2008年9月5日正午まで)。

ユニット名の由来は、英語の慣用句で「身近な親しみのある女の子」[2]

2008年9月2日より、「GIRL NEXT DOOR 千紗のオールナイトニッポン」として、6ヶ月連続でニッポン放送の深夜番組「オールナイトニッポン」のパーソナリティを務めることが決定している。

千紗(ちさ 本名: 1985年11月16日 - )
兵庫県出身。血液型はAB型。ボーカル担当。
元Ma-kiss[3]メンバー
関西を中心にダンス活動をし、2006年に上京。上京後はエイベックス・アーティスト・アカデミー[4]にてダンス、ボーカル、演技などのレッスンを重ね、CMや映画・ミュージカルなどで経験を積んでいった。2008年に大型新人ユニットのボーカルとして起用された。
井上裕治(いのうえ ゆうじ 1978年9月3日 - )
福島県出身。血液型はA型。ギター担当。
14歳からギターを始め、22歳でサポートギタリストとしてプロになる。その後、自身のグループでメジャーデビューするが1年で解散。その後は、スタジオ、サポートギタリストを続けつつ、本格的に作曲活動に入れ始め、数々のプロジェクト、サポートに参加して現在に至る。
鈴木大輔(すずき だいすけ 1978年10月27日 - )
神奈川県出身。血液型はA型。キーボード担当・作曲担当。通称大ちゃん。
16歳の時、ユーロビートに触発されシンセサイザーを購入、作曲を始める。翌年バンドRubii[5]を結成し、1998年メジャーデビュー(1年後、バンド活動に疑問を感じ脱退。その後、TUBEの春畑道哉、貴水博之、キタキマユ、STEEL, shela, 鈴木亜美、玉置成実等への楽曲提供、アレンジなどを手掛ける。
2002年から2005年まではday after tomorrowのメンバーとして活動していた。
現在はアーティストへの楽曲提供、TV番組「歌スタ!!」などに出演したりしている。

『偶然の確率』(CD+DVD)AVCD-31478/B (2008年9月3日)
『Drive away』(CD+DVD)AVCD-31485/B(2008年10月8日)

2008年8月26日 (火)

クレイジーケンバンド

クレイジーケンバンド(CRAZY KEN BAND)は、日本のファンクソウルバンドである。略称CKB。

1997年に結成。当初は横山の適当な命名で「ゲロッパ1600GT」(略称ゲロG)というバンド名だった。現在の名前を提案したのは小野瀬。
1998年にアルバム「PUNCH! PUNCH! PUNCH!」でデビュー。
2002年にシングル『GT』およびアルバム『グランツーリズモ』で注目される。懐かしさと新しさが同居した、不思議かつかっこいいポップソングと評判となる。
2005年に、2002年に発表されたシングル曲『タイガー&ドラゴン』を元に、ドラマ「タイガー&ドラゴン」が制作・放送される。主題歌となった『タイガー&ドラゴン』は、シングルが再発売され、更にiTunes Music Storeが開始されてから1週間以上、iTunes Music Store上で上位にランクインし続けた。またこのドラマではメンバーの洞口信也と廣石恵一が舞台の浅草演芸ホールの掃除夫として(連続ドラマ版のみ)レギュラー出演した。(また、この曲は和田アキ子・大西ユカリと新世界・RIKI(竹内力の“双子の弟”、とされる)がカバーした。RIKI版は『タイガー&ドラゴン 大阪挽歌(エレジー)』のタイトルで、歌詞が異なる。)

横山 剣(よこやま けん) - 唄・コーラス・作詞・作曲・編曲・キーボード 自称「東洋一のサウンドクリエイター。(東洋一、世界2、宇宙6。)」
元ロックンロールバンド「クールスRC」のボーカリスト(Hi-STANDARDの横山健(Ken Yokoyama)は同音異字。「ハイスタの横山さん」と混同されることも多くなってきたため、2008年より“crazyken”と表記し、また名乗るようにしている)。
小野瀬 雅生(おのせ まさお) - エレキギター・キーボード・コーラス他 通称のっさん
小野瀬雅生ショウ(CKBの高橋利光も参加)のリーダーとしても活動。容姿的に似たリリー・フランキー、安斎肇らと交流がある。ファンである映画監督アキ・カウリスマキに、ファン・レターも兼ねて、グループのCDを送っていたところ、カウリスマキに気に入られ、「ハワイの夜」と「Motto Wasabi」が、映画「過去のない男」のサウンドトラックに使用された。
新宮 虎児(しんぐう とらじ) - エレキギター・キーボード 通称ガーちゃん
洞口信也と共に、The MOJOSの一員としても活動。
中西 圭一(なかにし けいいち) - サックス・フルート 通称ジャッカル
ステージ上では“スター”とも称され、讃えられている(ある意味、ネタとして)。
洞口 信也(ほらぐち しんや) - ベース・叫び 通称ドナルドダックダンシンヤ(略称D.D.D.S)
新宮虎児と共に、The MOJOSの一員としても活動。
廣石 恵一(ひろいし けいいち) - ドラム・パーカッション・バンドマスター 通称K-1(ケーワン)
元杉山清貴&オメガトライブのメンバー。横山とは20年来のバンド仲間。一時期作曲のみに専念し、バンドでの音楽活動をあきらめかけていた横山を引き戻した人物。
高橋 利光(たかはし としみつ) - キーボード・アレンジ 通称トシちゃん、ヨン様
“ヨン様”の由来は、一時期ソフトなパーマ、色の薄いサングラス、そして微笑み(これは不変)と、ペ・ヨンジュンにその見た目がよく似ていたことから。“シャリマール”(CKBの同名曲の一節“シャリマールは よい男”に由来)と呼ばれていた時期もある。小野瀬雅生率いる小野瀬雅生ショウの一員でもある。
菅原 愛子(すがわら あいこ) - 唄・コーラス 通称sgw(エス・ジー・ダブリュー)
 地元のクラブで活動しながら横山剣の奥方が店長を務める洋服店でバイトしていたところ、『パパ泣かないで』のデュエット相手として抜擢され、その後正式加入。ヒップホップクルーI.S.O.P.でも活動。
スモーキー・テツニ - 唄・コーラス 通称ミスターGT
CKBの前身「CK's」のメンバーでもあった。
河合 わかば(かわい わかば) - トロンボーン・フルート
BIG HORNS BEE(米米CLUBのホーンセクションとして知られる)の一員でもある。
澤野 博敬(さわの ひろのり) - トランペット・フリューゲルホーン 通称澤の鶴
CKBの前身「CK's」に在籍していた時期あり。
伊達 弦(だて げん) - パーカッション
※2002年以降、初期からのメンバー6名(横山、小野瀬、新宮、中西、洞口、廣石)でライブを行う際は“CKB-Classix”と呼称している。

※中西、河合、澤野のホーンセクション3名は“Trio The Dog Horns”とも呼ばれている。

※横山剣と音楽ライター藏真一郎とで選曲、作詞活動を行う場合は「横山剣音楽事務所」名義を使用している。

2008年8月16日 (土)

Metallica

メタリカ (Metallica) は、1981年にアメリカのロサンゼルスで結成されたヘヴィメタル・バンド(後に本拠地をサンフランシスコに移した)。初期はスレイヤー、アンスラックス、メガデスと共に「スラッシュメタル四天王」の一角と言われており、1990年代の全米アルバム総売り上げ4位のビッグ・バンドである。ジェームズ・ヘットフィールド (Vo/G) とラーズ・ウルリッヒ (Dr) らが中心になって結成された。

スラッシュメタルの先駆者としても知られ、1stアルバムではNWOBHMの影響を存分に受けたスラッシュ一辺倒であったが、2nd - 4thアルバムでは叙情的なフレージングと冷徹なヘヴィリフのコントラストを芸術的に融合させたヘヴィメタルを展開。

古典的なヘヴィメタルの様式美とは若干異なり、何処か冷ややかさのある耽美的な美旋律が特徴である。そういった音楽性からヘヴィメタルの臨界点に達したバンド、理想系を築き上げたバンドと言っても過言ではない。

また5thアルバムからはヘヴィネスに特化した音作りが中心となり、昨今のラウドロックバンドに大きな影響を与えた。

他アーティストの楽曲のカバーバージョンもレパートリーにしており、シン・リジィ(『ウィスキー・イン・ザ・ジャー』)・バッジー(『ブレッドファン』など)・モーターヘッド(『オーヴァーキル』)の70年代ブリティッシュ・ハードロックや、ダイアモンド・ヘッド(『ヘルプレス』など)をはじめとするNWOBHM勢の曲、ハードコア・パンクバンドのアンチ・ノーウェア・リーグの曲(『ソー・ホワット』)も含まれており、ここからメタリカのルーツを知ることができる。

また、ロックに限らず幅広いジャンルのアーティストによって、楽曲がカバーされている事でも知られている。その中でも珍しいものについて、メンバーがBURRN!2006年6月号に掲載されたインタビューの中で言及した処によると、ゴスペルシンガーとして知られ、ハードロックやヘビーメタルをカバーした事で物議を醸したパット・ブーンにカバーされている。また、ウィーン少年合唱団の少年たちは、メタリカの楽曲『ナッシング・エルス・マターズ』を、ザ・ビートルズ、セリーヌ・ディオン、エンヤ、マドンナ、バックストリート・ボーイズらの楽曲と共に、12曲のポップ・ミュージックの中に選び、アルバム『ゴーズ・ポップ』を収録した。このカバー曲について、カーク・ハメットは「かなり壮大な仕上がりだった」と評価した。 また、ブルーグラス(アコースティック楽器による北米大陸の民謡スタイルのカントリー・ミュージック)風にカバーされたコンピレーションアルバム『Fade to Bluegrass』(メタリカの楽曲『Fade to Black』をもじったもの)までもが存在する。この様に幅広いアーティストによってカバーされている事について、メンバーたちは歓迎の意を表している。

2008年8月12日 (火)

ウルフルズ

ウルフルズ (ulfuls) は、日本のロックバンド。1988年に結成。1992年、東芝EMIからシングル『やぶれかぶれ』でデビュー。公式ファンクラブ名は「ウルフルクラブ」である。

メンバー
トータス松本(Vocal)
ウルフルケイスケ(Guitar)
ジョン・B・チョッパー(Bass)
サンコンJr.(Drums)

1988年、英語の歌詞を用いたネオ・サイケバンド、D'fで活動していたウルフルケイスケが、大阪・中津のインド喫茶「カンテ・グランデ」(通称:カンテG)のバイト仲間であるトータス松本を何度かセッションに誘ったのち、D'fを脱退。松本らとともにウルフルズを結成。その後、ドラマーが脱退したため、客としてライブに来ていたサンコンJr.を勧誘。バンドに迎え入れた。

バンド名は、メンバーお気に入りのLPレコードのジャケットの帯にあった「ソウルフル」が改行のため「ウルフル」と読めたことに由来する。オオカミとは無関係。

1990年6月に東京での初ライヴ。1992年5月13日に東芝EMIからシングル『やぶれかぶれ』でデビュー。6月17日ファーストアルバム『爆発オンパレード』をリリース。

1996年、6枚目のシングル『ガッツだぜ!!』、続く7枚目のシングル『バンザイ 〜好きでよかった〜』、サード・アルバム『バンザイ』をリリース。アルバム『バンザイ』は100万枚を超える累計売上を記録した。同年、NHK紅白歌合戦に初出場。その際「『ガッツだぜ!!』の歌詞の一部が卑猥だ」として歌詞を変えるか否かが問題となり、最終的に一部分のみを変更した。

1999年、ベース担当のジョン・B・チョッパーが脱退し作家に転身。3人編成となる。

2001年、『明日があるさ』をリリース。同年、吉本興業オールスターズとも言えるRe:Japanとのコラボレーションで再び紅白歌合戦に出場した。

2002年『ウルフルズ10周年5時間ライブ!! 〜50曲ぐらい歌います〜』にジョン・B・チョッパーが出演。2003年6月1日に日比谷野外音楽堂にて行われたフリーライブにて正式に復帰、再び4人編成となった(ジョン・B・チョッパー脱退時、ライブやレコーディングを支えていたベーシストは、順にCHIROLYN、上野イチロー、高橋"Jr."知治の3人である。2000年以降2007年現在まで、ライブはキーボードの伊東ミキオを加え、5人で行っている。一部イベントやライブを除く。大々的に一般募集もしたが、かなりの応募があったが適役がいなかったとのこと。)

2003年に発売された『ええねん』は関西では「この年の日本シリーズで日本一を逃した阪神タイガースのファンの気持ちを代弁する曲」としても受け入れられたという見方がある[1]。もっとも、この曲が完成したのは阪神タイガースがリーグ優勝を決める2か月近く前のことである。『ええねん』は地元大阪のラジオ局FM802のOSAKAN HOT 100ではJ-POPとしては最長の9週連続1位を記録した。

2007年1月1日にワーナーミュージック・ジャパンに移籍。同時に、2007年に発売するシングル『情熱 A GO-GO』の歌詞を発表した。

2008年8月 7日 (木)

セックス・ピストルズ (Sex Pistols)

セックス・ピストルズ (Sex Pistols) は、イギリスのパンク・ロックバンドである。ザ・クラッシュ、ダムドらとともにパンクロックムーブメントを代表するバンドの1つである。

これらの3つのバンドの活動中は、パンクロックの創生期とされる為初期パンクと呼ばれ、当時のセンセーショナルさから、当時はもとより後年における世界中の様々なアーティストに影響を与えた。

ジョニー・ロットン (ボーカル)
スティーブ・ジョーンズ (ギター)
ポール・クック (ドラムス)
グレン・マトロック (ベース)
旧メンバー
シド・ヴィシャス (ベース)

1976年11月 - 結成
1977年10月 - ファーストアルバム『Never Mind the Bollocks』を発売。
1978年1月14日 - 初のアメリカツアーの最中(ロサンジェルス,ウインターランド公演後)に、ジョニー・ロットンがバンドを脱退。実質上の解散となる。
その後スティーブ・ジョーンズとポール・クックは、イギリスの大列車強盗犯人であるロナルド・ビッグスや、ナチスの戦犯で絞首刑の判決を受けたが1972年まで死体が見つからなかったため南米逃亡説のあるマルチン・ボルマン(これは本人かどうかも不明だが、映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』でもナチスの制服を着用した男が登場している)とのコラボレーションを行い、おふざけ半分でピストルズを延命させた。マルコムは、嫌がるシド・ヴィシャスに、フランク・シナトラの「My Way」(替え歌)をレコーディングさせ、レコード発売もおこなっている。結果的にはシドの代表的ナンバーとなった。

1996年には、ベースにグレン・マトロックを復帰させて再結成を果たし、世界ツアー等も行い、来日も果たした。

2008年、Summer Sonicに出演決定。

2008年7月29日 (火)

レッド・ホット・チリ・ペッパーズ (Red Hot Chili Peppers)

レッド・ホット・チリ・ペッパーズ (Red Hot Chili Peppers) はアメリカ合衆国、カリフォルニア州出身の世界的に人気のあるロックバンドである。ファンクとヒップホップをパンク・ロック、ハードロック等と混ぜ合わせたミクスチャー・ロックと呼ばれるバンドのひとつである。日本での通称は「レッチリ」。一部のオールドファンからは「レッチリ」が定着する以前の略称「チリ・ペッパーズ」や「チリペ」などで呼ばれる。アメリカでの主な通称は「Chili Peppers」。

レッド・ホット・チリ・ペッパーズのメンバーがそれまでに所属していたバンドには、チェイン・リアクション (Chain Reaction) やアンセム (Anthym) などがある。

1983年 - アンソニー・キーディス、フリー、ヒレル・スロヴァク、ジャック・アイアンズによりバンド結成。

1984年 - Capitol/EMIと契約し、デビューアルバム『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ』をリリース。プロデューサーにギャング・オブ・フォーのアンディ・ギルを迎えて作成される。しかしデビューアルバムでありながらこの作品にはオリジナルメンバーであるヒレル・スロヴァクやジャック・アイアンズは参加していない。

1985年 - ヒレル・スロヴァクが復帰してアルバム『フリーキー・スタイリー』をリリース。プロデューサーにジョージ・クリントンを迎えて作成された。バンドのファンキーな魅力が顕著にあらわれた作品となり、アンダーグラウンドで好評を得る。

1987年 - アルバム『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』をリリース。前作で復帰したヒレル・スロヴァクに続きジャック・アイアンズもバンド復帰して制作された作品で、最初で最後のオリジナルフルメンバーによるアルバムになった。このアルバムから初めて日本盤が発売される。

1988年 - ヒレル・スロヴァクがヘロインの摂取過多により死亡。これに伴いジャック・アイアンズもバンドから脱退してしまう。

1989年 - メンバーにジョン・フルシアンテ、チャド・スミスを迎え、アルバム『母乳』をリリース。このアルバムの裏ジャケットの絵は亡くなった元メンバー、ヒレル・スロヴァクが描いたものである。

1991年 - Capitol/EMIからWarnar Brothers Recordsに移籍し、アルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』をリリース。全世界レベルでのブレイク作品となる。現在のバンドのプロデューサーであるリック・ルービンが初めて彼らをプロデュースした作品。このアルバムに収録されシングルカットされたUnder The Bridgeで初の全米1位を獲得。また、同じくシングルカットされたGive it awayはグラミー賞のハードロック部門最優秀シングル賞を受賞している。

1992年 - 世界ツアーでの日本来日中、ジョン・フルシアンテが突如帰国、脱退してしまう。

1995年 - ギタリストにデイヴ・ナヴァロを迎え、アルバムワン・ホット・ミニットをリリース。しかしデイヴはこの作品のみで脱退してしまう。

1999年 - ジョン・フルシアンテが復帰し、アルバムカリフォルニケイションをリリース。「スカー・ティッシュ - Scar tissue」で二度目のグラミー賞を受賞。現在までの最大のヒット作となる。

2002年 - アルバム『バイ・ザ・ウェイ』をリリース。チャドが「vary john」と表現したようにジョン・フルシアンテ色が全面に押し出されたアルバムとなった。アルバムチャートではついにイギリスで1位を獲得した。

2006年 - アルバム『ステイディアム・アーケイディアム』をリリース。初のアメリカアルバムチャート1位をはじめとして全世界24ヶ国で1位を獲得。日本のアルバムチャートでも2枚組の洋楽アルバムとしては、史上初の初登場1位を獲得した。先行シングルとなったDani Californiaが、同年に日本で公開された『デスノート』の主題歌として採用。同アルバム収録のSnow ((Hey Oh))も『デスノート the Last name』の主題歌に採用された。また、このアルバムで三度目のグラミー賞を受賞している。

2007年 - 3月19日の京セラドーム大阪、3月22日・23日の東京ドームの公演は、いずれもボーカルのアンソニーが「急性肺炎、10日間の絶対安静」との医師の所見のため、3月17日の来日直前になって急遽延期された。

2008年7月23日 (水)

サザンオールスターズ

1978年のデビュー以来30年にわたって日本のポップミュージックのトップを走り続けるバンドである。楽曲はロック色の強いものから、バラード、民族音楽・郷土音楽からテクノ・デジタルロックまで幅広いレパートリーの楽曲があり、題材は愛・セックス・郷土愛・ユーモア・社会風刺など多岐にわたる。老若男女幅広い層のファンを持ち、芸能界にもサザンのファンであると発言した芸能人が数多く存在する。代表曲は1970年代に「勝手にシンドバッド」、「いとしのエリー」、1980年代に「チャコの海岸物語」「ミス・ブランニュー・デイ」、1990年代には「希望の轍」、「涙のキッス」、「エロティカ・セブン」「愛の言霊 〜Spiritual Message‎」などのミリオンセラーを発したほか、2000年代に入っても「TSUNAMI」「涙の海で抱かれたい 〜‎SEA OF LOVE〜‎」がヒットするなど多数にわたる。1970年代から4つの年代全てで50万枚以上のヒット作を生み出し、うち3年代でオリコンチャート1位作品がある。

2008年7月14日 (月)

Nirvana(ニルヴァーナ)

ニルヴァーナ (Nirvana) はグランジを代表するアメリカのバンド。ジェネレーションXと呼ばれる世代の圧倒的な支持を受けた。ニルヴァーナは仏教用語で涅槃という意味である。メンバーはカート・コバーン(ボーカル、ギター)、クリス・ノヴォセリック(Krist Novoselic, ベース)、デイヴ・グロール(Dave Grohl, ドラム)の3人。1987年にニルヴァーナと名乗りシアトルを拠点として活動していたが、1994年4月5日、カート・コバーンが自宅で自殺したことで事実上の解散となる。

メンバー全員(カート、クリス、デイヴ)の両親が離婚している事でも知られている。

オリジナルアルバム
ブリーチ - BLEACH (1989)
ネヴァーマインド - NEVERMIND (1991)
イン・ユーテロ - IN UTERO (1993)

ライブアルバム
MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク - MTV Unplugged in New York (1994)
フロム・ザ・マディ・バンクス・オブ・ウィシュカー - From the Muddy Banks of the WishkahYork (1995)

ベストアルバム
ニルヴァーナ シングルズ - Nirvana Singles (1995) (日本では2006年に発売)
ニルヴァーナ - Nirvana (2002) (2003年にも再販)

未発表曲&別テイク集
ホルモウニング - Hormoaning (1992) (日本とオーストラリアのみ)
インセスティサイド - Incesticide (1992)
ウィズ・ザ・ライツ・アウト - With the Lights out (2004)
スリヴァー - Sliver (2005)

2008年7月10日 (木)

ビートルズ

ビートルズは世界中で最も広く知られ、最も成功したロックバンドである。ギネス・ワールド・レコーズでは最も成功したグループアーティストとされる。イギリスのリヴァプールで結成され、アメリカを制圧し、世界中を席巻して現代のポピュラー音楽の流れを変えた。1962年レコードデビュー。1970年解散。

外貨獲得に大きく貢献したことから、1965年にエリザベス2世から(当時、ロックバンドとしては異例の)MBE勲章が授与された。

世界的アイドルとして成功を収める一方、1960年代以降のロック・ポップスシーンに与えた影響も含め、また後期になって行くほど世界屈指のアーティストとして、その楽曲の普遍性、革新性もまた高く評価されており、現代音楽の金字塔として揺ぎない地位を保っている。1960年代の日本のグループサウンズもまた、ビートルズから影響を受けたジャンルのひとつである。

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